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Blue Blood Birthday

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「まだわかんないの? ――犯人はその妹さんだってば。4日の旅行も3人目の被害者の現場に落ちてたペンも、全部トリックだよ。気になるならその書類に付いてたって指紋調べなおしてみればいいんだから。薬指だけ付いてないよ。その時にはもう切り落とされてるんだからね。それにサングラス、3日には割れてたんでしょ? 他に答えなんかないってば」
 物分りのわるい小学生に、二桁の掛け算を押しえるような面持ちで苛立ちながら吐息をして、藍空希は事件の解説を締めくくった。
 およそ15分にも渡る事件の解明の間、結局依頼人である氷室刑事はメモを取るでもなく頷くでもなく怒るでもなく涙を流すでもなく、最初から最後までぽかんと希の言葉を聞いているだけだった。
 15年も前に起きた殺人事件を追いかけ、多くの困難と障害に阻まれ続けながらも執念で犯人を追い続けた老刑事。その顔には深い皺を何本も刻まれ、苦悩に満ちた時の流れを示すかのよう。
「でさ、そんなのがずっと解らなかったわけ? 刑事さんは」
 そんな彼の努力などまるで無駄とばかり、希の推理はあざやかで芸術的で、至高のものだった。あらゆる点に無理がなく、あらゆる疑問の浮かばないほど完璧で無謬の論理展開。
 結果、氷室刑事はただ、思考を放棄するように間の抜けた表情をするのみだった。
 裏切られ、苦しみ続けた15年。時効を間際に、もはや万策付きた中、藁をもすがる思い――あるいはほとんど神頼みの気分で辿り着いたここで、希に会うなり事件の真相をすらすらと言い当てられればまあそんな反応はマシな方だろうと思う。
「馬鹿だなぁ刑事さん。なんで気付かないの? それでも警察の人? ダメだなぁ」
 ああ、実に簡単で素朴で、効果的なとどめの一言。
 時に、名探偵とは非道な生き物だという。あらゆる凡人の努力を否定し、部外者の癖に当事者のように事件に首を突っ込み、殺人が起きるのを傍観し、最後の最後に実は真相に気付いていたのだ、とばかりに推理を披露する。昨今の探偵資格試験の発達と共に、
 その一端を垣間見た気分で、僕はふらふらと階段を下りてゆく氷室刑事を見送った。
「はぁーあ……」
 一部始終を語り終えた希は、ぼすんとベッドの上に横になった。普通の女の子ならちょうど良く腰から上あたりを覆うことになるだろう柔らかなパジャマの上着が、膝の下まで届くような、ほとんど子供と代わらないような華奢で細い体格。
「お疲れ」
「もぅ。なんでボクがこんなことしなきゃいけないのさ。あんなどーでもいい話に付き合わされてさ。これが推理小説だって誤解されたらどうするの? 言っとくけどね遊くん、ボクは名探偵でも霊界探偵でも魔神探偵なんでもないんだよ?」
 口を尖らせつつ、希は僕の持ってきたココアに口を付ける。彼女は猫舌なのでわずかにカップを傾け、ちろちろとミルクを啜る猫のような仕草だ。
「まあ、遊くんの頼みじゃ仕方ないけどさ。あんなに詰まらないことでボクの手を煩わせないでよね。面倒くさい」
「そうだね。気を付けるよ」
 とは言っても、証拠もロクに残っておらず、もはや時効もやむなしの15年前の殺人事件を、現場に赴きもせず証拠も資料も読まず、単に現場の刑事さんの話を聞くだけで解決してしまう真似は普通の人間には不可能だろう。それが希の希たる所以。唯一無二、何者にも変えがたい希少で貴重な価値なのだ。
「遊くん、おなかすいた。ごはん頂戴」
「さっき食べたばかりじゃなかったっけ?」
「すいたものはすいたの。頭使うとおなか減るんだから。ホンとだよ? ……ほら、いいから早く持ってきてってば」
「はいはい」
 苦笑しながら、僕はエプロンを付け台所に向かった。
 調理、と言っても僕にまともな料理のスキルは無い。冷凍庫のレトルトを選んで解答するのが関の山だ。
 レンジのスイッチを入れたところで、胸元で携帯が震え出す。
「……誰だ?」
 発信は非通知。訝りながらも、10回コールを待っても切れる様子はないので渋々出てみることにする。
『檻園、息災そうでなによりだ。まあそうで無くても構わんから一つ頼まれろ。期限は3日、拒否権は無いぞ。言うまでも無いだろうが』
「……ああ、法子さんですか、ご無沙汰してます」
『礼はいいぞ。それでもどうしても感謝を示したいと言うなら吝かではないがな』
 いつもの連絡手段ではないものの、この有無を言わせぬ傲岸不遜を絵に描いて小説にしたような電話の主は法子さん――“魔術師”三沢法子(みさわ・ほうこ)以外にはありえない。彼女は都内で古書肆を営む傍ら、ややこしい交遊関係からやっかいな話を山ほど引きうけるのを生業にしている。一部では絶対指定の白黒(アブソリュートモザイク)とか神代碑文(テトラグラマトン)とか剣呑なんだかそうでないんだか解らない異名で呼ばれているらしい。なお、由来はまったくの不明。
 ともあれ、法子さんはそうやって得た無数の依頼を、これまた広い交遊関係の中から適切だと判断した相手に振ってくる。よっぽどのことがなければ自分からは動かず、その実勝手に知名度と依頼領だけをせしめる酷い商売をしている。
「わかりましたよ。どうすればいいんです?」
『やけに素直だな』
「断ってもどうせ許してくれないんでしょう? だったら同じことです」
『馬鹿を言うな。断らせるわけがなかろうに』
 傲岸不遜を絵に描いたような切り返しだった。法子さん本人はこの性格を、魔術師であるための第一義だと称している。なんでも、科学万能のこの時代、世界の法則に逆らって魔術という奇跡を起こすためにはなによりも世界を疑い確固たる己を貫くことが必要なのだそうで、魔術師というのは多かれ少なかれ他人の意見を許容しないのだとか。
 ……実に眉唾。
『聞いているか檻園。……まあ聞いていなければあとでお前が酷い目を見るだけだがな。内容は単純だ。もうすぐお前の……お前達の所に客が来る。その依頼を断るな』
「断るな、ってことは別に保留してもいいわけですね?」
『できるものならな?』
 おぅけー。この人相手に揚げ足取りは無駄ですね。
『なかなかに面白い客だ。個人的には少々興味のある話だが、そうも言っていられないほど多忙でね。適材に回すべきと判断した』
「適材?」
 聞き返した僕に、法子さんは笑ったようだった。
『ブルーブラッドにまつわる話さ』
「……そうですか」
 なるほどその単語を出されちゃ、断るなんて選択肢は最初から消えてしまう。経緯が堂であれ、状況が何であれ、それに関わる全てを僕は甘受しなきゃならなかった。あとは積極的に受けるか、消極的に受けるかの違いでしかない。
 そしてこの、性格と底意地の悪い魔術師に対して、譲歩して得をすることはありえないのだ。
「僕に、希を説得しろと?」
『は。言うもんだな檻園。お前が今そこにそうして馬鹿面ひっさげて居られるのは誰のお陰だ。権利を享受するなら義務を全うしろ。お前は私と違って立派な文明社会の一員だろうに。お前のような低俗な凡俗がそこに居られる、全知世界における類稀なる幸運の、それだけに見合う責任を弁えろ』
「相変わらずきついですね。……わかりましたよ、やってみます」
『ふん。全くだ。どうせ無駄なんだから余計な時間を取らせるな、凡俗』
「僕だって解ってますよ。解りすぎるくらいに解ってるつもりです。でもね、こういうやりとりがないと面白くないって言うか、華がないじゃないですか。どんなことでもコミュニケーションは大事だと思いますよ?」
 たとえそれが、ナイフと銃をを背中に隠してのうわべだけのものであっても。僕は信じている。人間は会話する動物である、と。頭を回転させ意識を研ぎ澄ませ、理論を重ね思考を連ね推論を巡らせて百千万億の言葉を交わす。それこそが人間が情動ではなく理動で動くということの証。
 それを放棄した時、人間は動物に戻るのだと、そう思う。
『そういういっぱしの口はまずまともな一人前の人間になってから言え。ではな、凡俗』
 いつの間にか呼び名が凡俗になっていた。
 自分で呼んでて気に入ったんじゃなかろうか。決して否定できるところがないのが辛いけれど、罵り放題に呼ばれたままなのもあまり気分の良いものでもなく。……次に会う時までに忘れててくれればいいけど。
「遊くん、まだー? 待ちくたびれたー」
「ああ、うん、すぐ持っていくよ」
 ちょうど電話が切れたところでレンジも止まっていた。希にせかされ、ちょっと温まりすぎたグラタンの皿をお盆に乗せて、ミルクと一緒にリビングまで運ぶ。
「わーいっ、ごはんだーっ」
 とても僕と同い年とは思えない、幼さ溢れる満面の笑みで希はグラタンに飛びついた。手慣れた手つきでフォークを使い、湯気の立つホワイトソースをたっぷり乗せたマカロニを運ぶ先は、薄水色の唇。
 ――そう、青。
 希の肢体、汚れ一つない真っ白な肌を彩るのは、全て同じ人にはありえざる青の色彩。惜しげもなく晒される指先の爪は空青色、足の爪は海洋青、人差し指だけは深い紺色。眉は紺碧、瞳は群青と水色の二色混合。そして足元に届くよりもずっと長い髪は、絵の具の白に一滴だけ青を落としたような薄い水色から、真青までのグラデーションを描いている。
 まるで、空と海の色。無辺の水に満ちたこの惑星のようだ。
 文字通りのブルーブラッド。名の通りの青の血統、それこそが藍空希という少女の存在証明だった。
 神様は六日をかけて世界をつくり、七日目に手を止めて安息とした。けれどもしもう少し神様が勤勉であれば、必ず彼女を作っていただろう。それが神学における藍空希という少女の正当な評価である。
 この地球という類稀なる幸運に恵まれた惑星に、真核細胞が発生し、脊椎動物が生まれ、魚類、両生類、爬虫類、そして哺乳類が誕生し、そのなかに産声を上げた人類が二本の足でその大地を踏み締めた。
 猿人から原人、ネアンデルタールからクロマニヨン。人類は狩猟、農耕、牧畜と文化を重ね幾多の歴史を重ね、文化の研鑚を積んで人間へと変わる。それは数万年という、歴史にして語るには十分に長いけれども、それまで生物が辿ったのに比べればあまりにも短な時間。そして――加速度的に発達した西暦以後の時代は、ついに新たなる種を見出した。
 すなわち、動物界脊索動物門哺乳綱霊長目ヒト科ヒト属ヒト、いわゆる人間のさらにひとつ上の段階に存在する種。
 それが、藍空希だ。


 
「ごちそうさまでした」
「お粗末さまでした」
「じゃ、おなか一杯になったから寝るね」
「歯、磨きなよ」
「えぇー……?」
 全人類の期待を背負って誕生した彼女が、何故こんな極東の島国の片隅で、さして取り柄もなく目立ちもしない僕なんかに起こされては出来合いのレトルト食品を食べさせられ、歯を磨く磨かないの押し問答で頬を膨らませ文句を言っているのかについては伏せておこうと思う。
 精神誠意真心を込めて、必要とあらば全ての言葉を尽くし礼をもって人に接するのを心情とする僕にとっても、それだけはどうしても語りたくない過去の出来事であるからだ。
 もっとも、これを書き進めていく上で、僕は必ずそれを白日の下につまびらかにすることになるのだろうけれど……嫌いなものは最後まで食べないのが僕の信条なので、勘弁してもらいたい。

 ――ともあれ。

 これは、世界で最も凡庸にして低劣俗悪なる人間であるところの僕、檻園遊馬と、世界最高の生命体にしてあらゆる天賦の才を生まれ持った貴き蒼の血統、藍空希の、西暦2006年8月4日からから2009年12月6日までの、奇矯にして難解にして酷くちぐはぐな3年4ヶ月に渡る出来事を記した物語である。
 どうか、多くの謎と数奇な運命と類稀なる奇跡に祝福された藍空希の生涯を知りたいと思う人たちにとって、この手記がひとつでも多くの手がかりを与えるであろうことを願いたいと思う。



 (続く?)

らいく・あ・りりぃ

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 昼下がりの学食は、まもなく4コマ目を迎えようとする時刻でなお混んでいた。
 比較的人気のない日向のテーブルで、鈴音は頬杖をついてアンニュイに吐息をこぼす。

「ふぅ……」
「どうしたねスズさん、溜息などついて? いくら悩んでもその胸はもうこれ以上おっきくはならんと思うよ? もう立派にえろげーができる年齢なのだしいい加減ふくらみかけと主張するのも限界があろうに」
「誰がそんな心配してるのよっ!? ええい慈しむみたいに見るな!! あと人の年齢をいかがわしく表現するなっ!?」
「ひたい、ひたいてば。……わかったよ、訂正。もうスズだって『みーんな18さいいじょうだよ、おにーちゃん』とか言い訳しなくても合法的にえろげーに出れる年齢なんだからさ」
「反省の色が皆無っ!!」

 びしり、と鋭い突っ込をくらって仰け反る理香。
 ぜーぜー、と肩で息を繰り返しながら、鈴音はぺしゃんとテーブルに突っ伏す。
 積み上げた学食の食器をフォークでつつきながら、

「あー、もー。悩んでたのが馬鹿らしくなるなぁ」
「……悩んでるんならそのリアクションのアクティブさはどーかと思うんだけどね」
「いや、だからさ、そうじゃなくて。なんかもう疲れちゃってさ」
「まだ入学式から3日も経ってないじゃないか。授業も規定の半分も出ていないとゆーのに」
「そうなんだけどねー。いろいろ環境変わって慣れない事ばっかりだからかな」
「ダメだよそんなんじゃ。好きで受験した学校じゃない。……ちなみにワタシは8割サボっておりますけどね」
「ダメ人間だなつくづくアンタはっ!?」
「あはー」
「笑ってごまかすなっ!?」

 紫電一閃の突っ込み一発。今度は綺麗に額に入った。

「うぅぅ……スズがいじめるぅー……」
「……ったくもぅ。調子くるうなぁ」
「すーぐ怒るんだもんなぁ。ちょっとからかっただけなのに。そんなんだから胸がないんだぞスズは。最近、野生の貧乳は希少なんだから」
「全然関係ないわよっ!! てかなんの話かっ!? そもそもアンタに言われたかないわよっ!?」

 びし、びし、ずびし。顔を赤らめての怒涛の突っ込み三連。
 まあ確かに鈴音の胸元は世の女性の平均よりもかなり寂しいが、対する理香はそのさらに上を(あるいは下を)ゆく。

「スズ? 何事もね、徹底的に貫けばひとつの利点となりうるのだよ? ナイムネに一家言あるワタシが言うんだから間違いないってば。だいじょうぶ大丈夫。スズだっていい線いってるから!!」
「嬉しくないわよっ!!」



 (続く?)





 なんとなくらき☆すた読み返したらこうなった(なにがだ)。

時の流れは残酷だ。

 もう何度となく語られつくした感すらある、少年ジャンプの連載における、強さのインフレにまつわる話。









■『ピューと吹く! ジャガー』2巻 うすた京介

 ~海で出会った女の子に一目惚れしたハマーが、海岸で一人告白の練習に打ち込むシーン。

「なんて情けない男なんだオレは…こんな事すらまともにできないなんて…!!」
「へへ…ジャガーっちの言う通りだ こんなんじゃフラれるに決まってるぜ」
「どうせダメさオレなんて…恋する資格もないクズ男界のNo.1プレイヤーなのさ!」


「それは違うぜハマー…」

(中略)

「お前はクズなんかじゃねえよハマー」
「お前なんかクズ男界じゃまだまだヒヨッ子さ…!」
「だってお前ここ最近のクズ男界はスゴイもの! 今年No.1に選ばれたパンツ井上(兄の方)なんてもう17年も連続でNo.1なんだぜ!?」
「あんなクズ男もう今世紀中には現れないのではないかとコミッショナーサイドでも……」


「知らないよ!! どうでもいいよそんな業界の話!! (ホガーン)」









 多分、今のハマーならパンツ井上なんか目じゃないレベル。

従軍魔術師・1

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 叢の向こうから、か細い悲鳴とそれをかき消す汚らしい鳴き声が響いていた。無理矢理なにかを引きちぎる粘着質の音に、べちゃべちゃと食べ漁り続ける咀嚼音。腐肉と垢にまみれた悪臭がここまで漂ってくる。
 ソアラは草の汁を吸った皮手袋で口元を覆い、喉元に込み上げてくるえずきを飲み込む。噎せ返るような青臭さは頭をくらくらとさせたが、血の匂いを嗅ぎ続けているよりは大分マシだった。
 妖魔達は人間を殺すと決まってその臓物を食らう。獲物を栄養とするのは彼等にとって当然の行為なのだ。軍の中でも糧秣問題と示威行為の一環として逆に妖魔を捕らえ食料にできないかという研究がされているそうだが、死んでもごめんだとソアラは思う。
 第一、連中の肉はとてつもなく臭い。
 遠くから漂うこの悪臭は、数刻前までこのマナル湖畔で繰り広げられていた戦場の残り火が、妖魔達の死体を焼く匂いだ。もともと鼻のきかないゴブリンの集団が相手だったからこそ、部隊からはぐれたソアラは独り、こうして叢の中に身を潜めていることができる。その意味では彼女は幸運だった。
「…………っ」
 いくら押さえつけようと、呼気が指の間からこぼれる。潜めた息も酷く耳障りなほど神経が高ぶっていた。落ちつけ、落ちつけと繰り返すたび、ソアラの頭の中から余裕は消え失せてゆく。
 知らず、ソアラの指は地面に寝かせた剣の柄に深く食い込んでいた。
 鍛治ではなく鋳造で造られた大量生産の剣は鈍らに等しく、刃など気休め程度にしか付いていない。百人単位で使い潰される歩兵隊に名匠の剣など不要だし、そもそもそれだけの装備を配備できるわけがないのだ。
 まして、ソアラは剣など使った事はない。部隊の副官に軍務だからと腰に下げるよう強制されたが、重いばかりで刃としての役に立てることなどないだろうと思っていた。そんな剣を固く握り締め、ソアラは唇を噛んで荒い息を押し殺す。深い霧の向こうに迫る足音の正体を見定めようと凝らす目が疲労に霞む。
 ぎぃ、と良く響く声が聞こえた。
 途端、叢の向こうでざわめきが始まる。死体を漁る咀嚼音が消え、がちゃがちゃと金物がぶつかり合う音。短い鳴き声を交わしながら、妖魔達が動き出す。
「……ふ、……っ」
 ぞくり、とソアラの背筋を寒気が走る。
 叢の中に身を縮こまらせ、露に濡れた鎖帷子が少しでも隠れるように声を押さえる。これまで無傷で逃れられた自分の幸運にすがり、妖魔達がこちらへとやってこないように必死に祈った。
 が、そんな願いも虚しく、木々を割り割いて赤銅色の肌が姿を現した。
 数は3、……いや、4。人間の半分ほどの背丈をしたゴブリン達が澱んだ緋色の目を左右に向け、ぎぃぎぃと甲高い鳴き声で喚き散らす。簡素な皮鎧と鉄錆だらけの剣はどこかの戦場で奪ったものだろうか。皮鎧に染み付いたどす黒い血の跡はそう古いものではないようだ。
「……っ」
 嘔吐感をこらえ、ソアラは強張った指を剣の柄から引き剥がす。
 皮手袋の上に嵌めた指輪を固く握り、意識を出きる限り研ぎ澄ませた。
 声を潜め、口の中に小さく呪を紡ぐ。
「――痛、っ」
 焦りすぎた。舌がもつれ、呪文が途切れる。
 ただでさえ皮鎧の下の鎖帷子のせいで全身を巡るマナの働きが阻害されているのだ。従軍する魔術師への発動体として支給された指輪も星鉄の含有量が低い粗悪品なせいで、果たして何度スタッフとして機能を果たしてくれるのかは解らない。
 だが、ソアラの細腕で振るう剣ではたとえ不意をついたところでゴブリンの一匹を屠ることができるのかも疑わしい。
 息を殺し、萎びた肺に空気を送り込んでソアラは再び呪文を唇に乗せる。ゴブリン達はさして警戒することもなく、しかしまっすぐにソアラの元へと向かってくる。

『――伏して願う、我が手に在りし冷たきもの、強き力で炎を宿せ』

 マナの輝きが糸になって、ソアラの剣に絡みつく。
 六大元素の中では最も強き力で敵を焼き滅ぼす赤色、《焔》の魔法。だが、炎の矢や火球で大群を蹴散らすような強力な魔法を、二十歳そこそこのソアラは使えるはずもない。それでも《加熱》はソアラが使えるたったよっつの魔法のうちの一つだ。
 鉄の剣が魔法の炎であぶられて熱を持ち、持ち手に巻かれた革を焦がす。手袋の上からも握っていられなくなる程に。
 その熱が、暴発寸前でとどまっていたソアラの自制心に火を付けた。
「っ、うぁああああああああああっっ!!」
 茂みから飛び出したソアラは隊列を崩したゴブリン目掛けて、構えた剣をまっすぐに突き出した。
 これは明らかな失策だった。あと数秒待てばゴブリン達は茂みの目前まで迫り、ソアラの剣は彼等に痛手を与えただろう。あるいは、必死に息を潜め続けていればこんな場所に人間がいるなどと思いもしない妖魔達は、そのままソアラに気付かず去っていったかもしれない。
 だが、ソアラは臆病にも勇敢にもなれなかった。
 慣れない筋肉は剣を一度振り下ろすだけで痺れ、強張った筋が悲鳴を上げる。ソアラの剣は虚しく空を切り、地面にぶつかって跳ね返った。高熱を持った剣は濡れた地面でじゅぅ、と音を立てた。
 貴重な奇襲の機会と、こちらだけが相手に気付いているという有利はあっという間に失われる。残るのは、4対1という絶望的な戦力差だけだ。
 錆びた蝶番が軋むような威嚇の叫びを上げながら、ゴブリンの一匹が飛び出してソアラに剣を振り下ろす。咄嗟に身をよじるが、避けきれるわけもない。錆びた切っ先は皮鎧を裂いて、鎖帷子に食い込んだ。
「ぁ、ぐっ」
 脇腹を貫く灼熱の痛みに、ソアラの意識が途切れかける。
 ぶん、と振り下ろされた別のゴブリンの剣がソアラの眼前の地面を抉った。
 重い剣を持ち上げて、ソアラは迫るゴブリンの刃を受け止める。……受け止めたというよりは、必死に持ち上げた剣にゴブリンの剣がぶつかったに等しい。
 軋みあう鋼は辛うじて互角の勝負をしていたが、子供程度の背丈の雑兵とは言え妖魔の力は貧弱な少女の腕力をゆうに圧倒する。
『我が手に在りし硬きもの、鋭化せよ!!』
 前句と威力形容詞を抜かして、ロクに使いこなせいもしない《兇刃》を剣に付与しようと試みたソアラだが、マナの輝きは指輪を取り巻くばかりで剣に宿ろうとはしない。詠唱時間を削りすぎたため、呪文が不完全に終わったのだ。文献で読んだだけの呪文が一度で成功することなど稀である。
 引き上げたマナは辛うじて暴発せずに留まっているものの、魔術としてカタチを成さないマナに力は宿らない。
 貴重な手番を浪費したソアラに、さらにゴブリンが襲いかかる。
「っ、嫌……ぁっ、」
 ついに恐怖が興奮をかき消した。無様に地面を転がって逃げに転じた少女に、ゴブリン達は嗜虐に満ちた歓喜の叫びを上げた。土をかきむしり、這いずって逃げ回るソアラを飛び跳ねながら妖魔が追いかける。
「……ぁ、ふ、は……っ」
 息が続かない。走りながら呪文など唱えられるわけがない。早鐘のように響く心臓が限界を訴えている。だが、動くのをやめるのは死を受けいれることに他ならない。鉛のように重い身体を引きずって、ソアラは必死に足を動かし続けるしかなかった。





 『従軍魔術師』





 レングラントとカルナ国境の戦端に始まった妖魔との戦争はますます拡大の一途を辿り、自由都市同盟すら巻き込んで南方辺境全体に拡がっていった。
 村々の若者は次々と兵隊に取られ、今年の収穫の半分にも満たない春麦引き換え権の代わりに軍隊に送られた。妖魔の雑兵は一月もあれば倍に増える。カルナ王国・自由都市同盟連合は妖魔達の圧倒的な数に押されて、崩壊しかけている戦線を維持するのに躍起になっていた。
 徴用の命令の公平さは、まだ二十歳にもならない娘のソアラとて例外ではなかった。
 形だけでも魔術師私塾の生徒であったため、他の兵士に比べれば待遇は悪くはなかったが――男だらけの不潔で不衛生な環境は、ロクに野良仕事もしたことのないソアラには酷く辛いものでもあった。
 幸いというべきか、魔術師に対する周囲からの偏見のおかげで独り寝をしていても押し倒されるようなことはなかったことが救いかもしれない。
 明日には死ぬかもしれないのなら、せめて誰でもいいのかもしれないが。そんなことのためにくれてやるほど安くはない、ともソアラは思う。
 ばしゃり、と湖岸の水草を跳ね散らかし、少女は水縁の砂浜に身体を投げ出す。
「か――は、」
 すさまじい疲労に胸を押し潰され、ソアラはぜいぜいと息をつく。
 水を吸った皮鎧はさっきまでの数倍の重さになって細い肩にのしかかる。鎖帷子は冷たい湖水で冷えきって、ちくちくと痛みすら覚えるほど。妖魔どもを振り払おうと水の中でもがいているうちに、剣はとっくに鞘ごと湖の底だ。
 背丈の分だけ足が届かず、息が続かなかったせいか、ソアラは辛くも妖魔達の追跡を振り払うことに成功していた。
「はぁ、…ぅ、…ふ…っ……えほっ…っぐ、」
 しかし、それも偶然の積み重なった産物に過ぎなかった。疲労の頂点に達した身体は砂袋のようで、指を動かすこともかなわない。息をしているだけで力尽き果ててしまうのではないか思えるほどだ。
 咳き込むたびに水を吸いこんだ肺が震え、鈍い痛みを臓腑の奥に響かせる。
 繰り返す痛みに耐えながら、ソアラは何度も俯いて、飲み込んでしまった泥色の湖の水を吐き戻す。
 何度目の嘔吐か。
 えずきに喉がずきずきと痛み出したころ、ようやくソアラの息は静まる気配を見せ始めた。
「……最、悪」
 これ以上、ソアラの状態を的確に言い表した言葉はない。
 鎖帷子の隙間から、じわりと滲む血が手のひらに広がってゆく。ゴブリンに突かれた脇腹の傷が、どんどんと痛みを増していた。
 錆びて欠け放題の刃が食い込んだ部分が熱をもってじくじくと疼く。こんな傷のままで泥水の中をもがいたのだ。膿み始めていてもおかしくなかった。
 ソアラは鈍い指先を使って帷子を外し、裂けた服の隙間から傷口を覗きこんで――絶句した。傷そのものはそれほど深くはなかったが、腫れた傷口は盛り上がって膨らみ、泥が詰まっていた。
 澱んで濁り、腐ったような湖と同じ色の泥が。
「……痛ぁ、っ」
 疼痛が頭の芯にまでに響く。しかし、このままでは破傷風に罹る危険もあることがソアラには理解できた。放置しておけば、傷はどんどんと腐りだすだろう。覚悟を決めたソアラはポケットから濡れたハンカチを引き出してくわえ、舌を噛み切らないように奥歯を噛み締める。
 手袋を外し、ソアラは爪で傷口を押し広げ、中に詰まった汚泥を搾り出す。
「――――、ぃ―――っ、」
 激痛に悶えながらも少女は傷を毟る指を緩めない。滲んだ血が溢れ、くすんだ紅が黒い泥を押し流してゆく。
 二回、三回。
 濡れた服が色を変えるほど血を絞り出して、ソアラは大きく息をつく。
「はぁ、はぁ、はぁ…っ」
 猛烈に軋む脇腹を押さえ、胸当ての下のサラシを巻き直した。びりびりと響く痛みはさっきよりも増していたが、何もしないよりは幾分マシだろうと自分に言い聞かせる。
 脇腹を押さえて立ち上がったソアラの視界に、どんよりと澱んだ空が見える。
 湖畔の湿地帯ではそこここで火の手が上がり、ごうごうと黒い煙を空に撒き散らしていた。
 鬨の声は聞こえない。大規模な激突は終わったようで、今は散発的な戦闘があちこちで響いている。それは同盟軍が総崩れになった妖魔達を追撃するものなのか、妖魔達が逃げ惑う人間たちを狩り立てるものなのか、ソアラには判別がつかない。
 ずる、ずる、と足を引きずりながら、ソアラは南の丘――風に煽られているカルナ王国軍の軍旗を目指して歩き出した。一歩ごとに傷が疼き、疲労した全身が悲鳴を上げる。しかし、痛いと喚いたところで、歩けないと弱音を吐いたところで誰も助けてくれはしないのだ。生きたいのならば自分で起き上がるしか道はない。
「……く、ぅ」
 喉に込み上げてくる熱いものを無理矢理飲みこんで、ソアラは亀のような歩みで前に進む。
 部隊の皆は死んだのだろうか。記憶を掘り返しても、小休止のところをいきなり奇襲されたためにどうなったのかがよく分からない。はっきり覚えているのは妖魔を罵る部隊長の怒声と、目の前で串刺しになった新兵の顔。
 一日に何百という命が朽ち、それと同じだけの新たな命が死地に向かう。ここはそういう場所なのだということを、ソアラはあの瞬間まで理解していなかった。鎧を着せられ、剣を握らされ、足が棒のようになるまで理不尽に歩かされ、食べる気も起きない腐ったパンを空腹の中で口に押し込まされても。
 戦場で生きるためには力が必要だ。
 けれど、神は残酷なまでに平等で、どれだけに必死に祈っても、理由もなく弱き者たちを助けてはくれない。それはたまらなく――惨めだった。
 丘の上では今もなお、怒号と刃のぶつかる音が響いている。時折閃く閃光は、おそらく誰かの放つ炎の魔術。妖魔達を薙ぎ払うような大魔術が使える魔術師がいる陣地なら、まだ他にも強い兵隊が生き残っているだろう。
 少なくともソアラには、妖魔の跋扈する草原から一人で脱出するような体力も技量も持ち合わせていない。
 だからソアラは歩く。
 この戦場で、生き延びるために。



 続く。





 しばらく前に書いていたファンタジーもの。妖魔のなかで一番貧弱なゴブリンの生命点が12、防御点が4で、ショートソードの攻撃力が1d6-2、専業前衛戦士の筋力が平均4くらいの世界観を意識して書いてみたけど、うまくいったかどうかは不明。
 ちなみにソアラの筋力は1で生命点は6。一番高い知性が4。スペルプールが最大5。呪文発動率は修正無しで67%。後衛の1Lvスペルユーザーとしては中の中くらい。

付喪夜話・泡沫/綾取る糸 その28

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「マドカを、返して」
「く、来るな!!」
 八本の脚を繰って傀儡を差し向け、巣の上に這い上がろうとする織姫。だが、傀儡たちはアヤの側に寄ることも出来ないまま、あっけなく頭を破裂させてゆく。
 アヤは傀儡を操作する糸を掴み、織姫から傀儡のコントロールを奪って破壊しているのだ。アヤが数ミクロンに満たない不可視のワイアを事も無げに引きちぎるたび、傀儡たちの頭は水風船を破裂させるように次々と吹き飛んでいった。
「ねえ、マドカを食べないで。あの子を返して。お願い」
「……ぃ、あ、」
 アヤは大蜘蛛の身体を巣から引きずり下ろした。絡まりあった糸が千切れ、地響きを伴って瓦礫を突き崩す。虎縞の腹を見せて仰向けになる織姫に馬乗りになって、アヤは両手を振り下ろした。
 ぐしゃり、と。
 大蜘蛛の腹が、裂けた。
 織姫の絶叫の中、アヤは両手を使って大蜘蛛の腹を解体しはじめる。
「マドカはね、必要なの。私はあの子がいなければダメなの。ダメなのよ。殺さないでよ。ねえ。あの子を返してよ。返してよ。あの子がいないとごはんも食べられないしお風呂も入れないし外にも出かけられないの。一人は嫌。私ひとりじゃダメなの。生きていけない。きっと寂しくて死んでしまうもの。
 返してよ。返してよ。あの子を返してよ」
 大蜘蛛の腹が左右に引き裂かれ、細い指が甲殻と筋繊維と神経と血管を事もなく千切り分けてゆく。
 臓腑を撒き散らしのた打ち回る蜘蛛神を殴り付け、複眼を握り潰し、脚をへし折り、腕を千切って、アヤは贖罪のように謝罪を繰り返しながら、妹の身体を求めて大蜘蛛の腹の中を掻き回す。
「ああこの中ね。この中にいるのね。マドカ。隠れていないで、意地悪しないで出てきてちょうだい。お姉ちゃんを捨てないでよ。謝るから。私が悪いの。ダメなお姉ちゃんでごめんね。馬鹿なおねえちゃんでごめんね。赦して。お願い、赦して、マドカ。ごめんなさい、もうしないから。許して。赦して。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
 大蜘蛛の腹からぶしゅうと胃液が噴き出して、アヤの身体を派手に濡らす。
 強烈な酸はアヤの両手を焼け焦がし、十秒とかからずに指の骨を剥き出しにしてゆく。それでもアヤは、織姫の腹を掻き分ける事をやめなかった。
「マドカ。出てきて。お願い。ごめんなさい、謝るわ。謝るから、許して。そんなところにいないで、お願い、出てきて。出てきてちょうだい。一人は嫌なの。ひとりにしないで。お姉ちゃんを苛めないで……」
 はらはらと涙をこぼしながら、アヤは作業を続ける。すでに織姫に意識はなく、白目を剥いたままびくびくと四肢を痙攣させるだけだった。撒き散らされた大蜘蛛の体液は急速にアヤの身体を侵し、死毒に染め上げてゆく。
「……マドカ、ねえ、どこ、どこなの、マドカ……」
 大蜘蛛の胃袋の奥からごろりと転がり落ちた、溶けかけの頭蓋骨には気づくことすら出来ずに。
 アヤは、いつまでも大蜘蛛の残骸をかき回し続けた――。



 (続く)





 無論続きませんし前もないです。
 かなり前に書こうとしていた殺戮系譜第三“天衣夢縫”の巣蔵織姫と御蔵馬姉弟、八坂サツキ、速贄姉妹の血みどろバトルの終幕部分。
 これがマドカの退場話でもありました。
 巣蔵織姫は本文のとおり蜘蛛のアヤカシで、極細のワイアで人の心を(ついでに物理的にも)絡め取りって操ることを好みます。さらに人間の振りをして社会に溶け込み、狩場に巣を張って徐々に自分のテリトリーを広げてゆくという厄介な付喪。
 殺戮系譜同士の対立を煽った織姫でしたが、“クロスワァド”三沢法子にその正体を看破され、同盟を組んだマドカ達に追い詰められてゆき
最後には本性を顕にして激戦。マドカを喰らい殺し、征次をひき潰すまでの戦果を上げますが、とうとうアヤに細切れにされるのでした。

 アヤの「人のカタチをしたものならばなんでも殺せる」という極端な限定能力ゆえに、人のカタチを失ってしまった妹に気付くことも出来ないというシチュエーションはそれなりに気に入っています。
 ……じゃあちゃんと書けって話ですが。ははは。
 ちなみにその後、


 ▼

「使役式の要領だ。聞く限りでは彼女等はすでに機構として完成された人格なのだろう? 成長その他の変化は、害になりこそすれ益になりはしない。ならば、生前の彼女を再現するくらい、それ程複雑な問題でもない」
「僕と同じように――アヤさんの記憶からマドカちゃんの魂を再構成して、使い魔を作るってことですか」
「そうだ。少しはマトモに頭を使うようになったな畜生の分際で。主人に恵まれているな」
「……冗談でもそれは笑えません。……でも、上手くいくんですか? そんな簡単に」
「連中は“絶対殺人機構”として安定する事を望んでいるんだろう? 多少の齟齬は自分達で修正してしまうだろうさ」




 などというやり取りも予定されていましたが。