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【天下無双・零】 アルティメット・ランブル編 24

■RESEARCH SCENE 16/遊月ひなた&サイクロプス


 ▼

「………っ」
 漏れそうになる荒い息を飲み込んで、ひなた静かに意識を研ぎ澄ます。
 鋼のように己を鍛え、無為なる一刃と成す――それが刀匠でもあり、災厄後の混乱を生き抜いた剣客でもあった祖父の教え。
 かすかなケーブルの震動を除けば、ほぼ無音の静寂のなか、音も立てることなく、じりじりと迫ってくる気配をじっと待ち続ける。
(思っていたよりも――巨きい……?)
 闇と溶け合うような、襤褸のコートを纏った相手が、ナイトゴーグルのなかに姿を表した。はじめ、“それ”が通路の半分ほどを塞ぐように見えたのは、それが背中に引きずる荷物のせいだと気付く。
(!!)
 “それ”は、ちぎれた人間の身体を引きずっていた。
 ずるり、ずるり、と地面を擦る肉片――元は死体だったかもしれないそれが、地面にどす黒い跡を引いている。
 それを知った瞬間。
 ひなたの身体は、撓めた発条を弾くように前に出ていた。
「――――――――――ァァアッッ!!!」
 さして広くは無い地下通路に、裂帛の気合いが響き渡る。
 祖父より受け継いだ道場の護り刀を逆手に構え、地面すれすれに身体を沈め、そのまま大地を皮一枚で削ぐような低い軌跡からの、斬撃。それは狙い過たず、“それ”の剥き出しの左足首をえぐり斬る。
 双天流・鴉。
 相手の踏み出しを牽制してち、浮きかけた足首を狙う低軌道の一閃。脚を切り落として機動力を削ぐ外法の技だ。普通の立ち合いではまず用いられない非道の技だが、卑劣とそしられようと、命を奪わず相手を制すのが双天流の極意である。
 煤けたコートに包まれた男の身体が、ぐらり揺れる。
「――――ァッッ!!」
 体勢を崩した男の胸元へ、すかさず力強く銀光が迸る。
 一撃目を囮にし、挙動を止めることなく二撃目へ刃を繋ぐ連携技、双天流・啄木。
 その応用を用いて繰り出された急所を目掛け鋭く突き込まれる刺突は、双天流・八鶴のきらめきだ。
 駆け抜けざまに構えた薄い刃が、コートの上から“それ”の左脇腹を貫通。肺の空気を絞り取り、呼吸困難と激痛で相手を無力化する。
 深い一撃をまともに喰らい、煤けた黒いコートが激しく悶絶する。
 だが、
 そこからの相手の挙動はひなたの理解を超えていた。
 相手の左脇へと走り抜けたひなたの首めがけ、相手の左腕――もっとも遠いはずの腕が、ぐるんと相手の身体を回りこんで伸びてくる。
「ぇ」
 七本の指の生えた、三つの関節を持つ巨大な腕――
 あまりにも異様な、異形の豪腕。それがひなたの喉笛を掴み、身体ごと真上へと跳ね上げる。ひなたの身体は配管の張り巡らされた天井目掛けて叩き付けられた。
 いくら地下とは言え、3mはゆうにある高さへ。
「っ、」
 全身を貫く衝撃に悶えながらも、辛うじて意識だけは繋ぎ止める。
 間を置かず、再度の浮遊感がひなたを襲う。次の瞬間には彼女は通路の遥か遠くまで投げ捨てられていた。
「―――ァア!!」
 宙空を振り回され、ちぎれそうになる身体をどうにか立て直し、地面に叩き付けられる寸前で膝を付いて衝撃を緩和。
 地面を数度、跳ねながら――どうにかひなたは体勢を整え、身を起こす。
 落下の衝撃でナイトゴーグルは外れていた。メンテナンス用のランプがわずかに灯る暗闇の奥、たったいまひなたを投げ飛ばした異形が、背を丸め、両手を地面に突いて吠えた。
 見開かれた片目だけが爛々と薄闇の中に輝いている。
 コートの袖を引き裂いて伸びた巨大な腕――あまりにも大きな左腕が、壁を砕いて打ち込まれる。
 抗うことを許さない、凶悪無比な暴力。
「……あなた、が……?」
 呆然とひなたは呟く。
 そこに居たのは、全身至るところツギハギの、縫い目だらけの異形の生物。
 巨大な左腕と、片眼だけを見開いた化け物だった。


 アルティメット・ランブル 番外戦
 遊月ひなた VS サイクロプス ――開始。



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 ランブルも中盤。そろそろ動き始めたブラックハウンドは果たして第3勢力となりうるのか?
 鑑識班の才媛“ライトハウンド”遊月ひなた(タタラ● カタナ イヌ◎)VSアルティメットランブルでも異端の参加者“継ぎ剥ぎ人生”サイクロプス(ヒルコ◎ マネキン● チャクラ)の場外乱闘。

 サイクロプスは一切リアクションをせず、ダメージを4枚ある救命符に依存するという極端な戦闘方法を取ります。必殺技は<※獣の気>→からズームハンド+グレイトアームで強化された生体武器による<乾坤一擲>+<咆哮>の見切り不能防御不能の大ダメージ攻撃。
 対してひなたは対剣術用に練られた流派への研究、<ハンター:カタナ>をブランチ・マイティハンターで<ハンター:ヒルコ>に変更、<合成>で十夜と組み合わせたビルドブレード相当の愛刀を構え、全力でサイクロプスの確保に移行します。

【天下無双・零】 アルティメット・ランブル編 23

■RESEARCH SCENE 15/遊月ひなた


 ▼

「はぁ……っ」
 冷え冷えとした地下の気配に、ひなたは静かに息を抑える。
 防寒ジャケットの下には、黒と黄金のブラックハウンドの制服。手袋の両手を軽く握り締め、身体がこわばっていない事を再確認する。ナイトゴーグルを通じて光量補正された視界には、配管やケーブルの入り組んだ構造が映っている。
 積層都市のインフラを制御する地下区画には、上下水道の配管だけでなく通信ケーブルや電線、ありとあらゆるライフラインを詰め込んだ、都市の動脈だ。発熱による障害を防ぐため、地下は都市部のような温度調整を行なわず、そのため気温は氷点下に近い。
 セキュリティレートを保有する人間はほとんど忘れている事だが、ニューロエイジは氷河期の只中にある。
「この辺り、ですよね」
 ブラックハウンド鑑識班、遊月ひなた(ゆうづき・ヒナタ)は、この2週間頻発している行方不明事件の捜査のためここを訪れていた。
 目的不明。対象要件不明。目撃者無し。
 イエロー以下のセキュリティランクの区画を中心に起きている失踪事件は、機動捜査課の調査によって3日前に特定の犯人による無差別誘拐事件へと変貌した。犯人は地下区画に潜伏し、通路を移動しながらマンホールやメンテナンス用の搬入口などを介して近付いた者を略取、そのまま地下に連れ込んでいる。
 確証は無いものの、すでに行方不明者は20人を超えており、遺留品の状況などから被害者の生存はほぼ絶望的――それが鑑識班の結論である。機動捜査課の“アイスハウンド”千早冴子課長ははただちに救援、制圧部隊の要請をブラックハウンド上層部に行なう。
 しかし、それは“首切判事”御堂茜隊長の権限によってあっさりと却下された。

『……そんな、詰まらない争いのために……!?』

 モニタの前で冴子が口走った単語は、この決定が決して覆らないことを知らせていた。直接掛け合ってくると言い残し、本部に向かった千早冴子とは、それ以来連絡が途絶えている。
 同時に機動捜査課全体には待機命令が出され、現在に至るまで解除されていない。
 “眼鏡のサエコさん”ことおなじ機動捜査課の巡査、神無木小枝子が代役を勤めて現場を指揮しているが、隊員達は事実上動きを封じられている状況だった。個別に捜査を続けている者はいるが、組織的な行動は不可能だった。
 だからこそ――直接命令の対象ではない鑑識班のひなたは、単独で地下区画の巡回を決意したのだった。
 出向先とは言え、機動捜査課は彼女にとって家のように親しい仲間達との集まりだったし、なにより彼女はかつて新星帝都大学で医者を志した身。生死が確認されたわけではないのならば、救助を待っている生存者がいるかもしれない。それを見捨てておくことはできなかった。
「D5エリア、確認」
 口の中で確認し、マッピングを終えたチェックを地下の地図に書き加えてゆく。
 その間も、腰に帯びたカタナを意識し、周囲に注意を怠らない。
 場慣れた動作は、女性でありながらいくつもの現場を経験した経験に裏打ちされ落ち付きを備えていた。
「……犯人のものと思われる痕跡、あり」
 通路の床に残るわずかな血痕に眉をしかめ、白い息を吐いてひなたは暗闇に視線を巡らせる。
 彼女が鑑識班の出身でありながら、単独での威力制圧を最も頻繁に行なう機動捜査課に長らく出向を続けている理由のひとつがこのカタナにある。彼女の修めた鷲宮双天流の剣技は、遊月道場の故・遊月彪我の認めた中目録。護身用と呼ぶには余りある腕前である。
 しかしそれをもってなお、長時間の探索行はひなたに大きな負担を強いていた。
 じっと周囲の気配を探り、唸るケーブルのかすかな震動の中から違和感を聞き分ける。あごを冷や汗が伝い、それがすぐに冷えて肌に張りつく。
「…………」
 自分の吐息までが耳障りだ。20人以上を抵抗無く容易く攫い、目撃者も無い――そんな化け物じみた犯罪者に対し、どこまで自分の腕が通用するのか。ひなたは緊張に張り詰めた意識をほぐそうと軽く唇を噛む。
 暗闇の中では時間感覚まで狂うのか、時計を見るたびに思いの他時間が経っていないことに愕然とするほどだった。
 彼女がゆっくりと脚を踏み出そうとした瞬間、

 ぺきり、

 と、かすかな胃音が響いた。
 ナイトゴーグルの光度を調整。音のしたほうに目を凝らす。
 錯覚だという希望的観測を捻じ伏せ、全身全霊をもって集中。
(……“い”る)
 ほとんど確信のように、ひなたはそう判断していた。鍛えられた剣士の勘、イヌとしての現場の経験、鑑識官としての理性的な判断、その全てが暗闇の向こうに潜む気配を捕らえている。
 ヒリつくほどの気配を感じながら、ひなたは強張った指を動かし、腰のカタナを掴んだ。


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 さて、今さらながらに再会したアルティメットランブル編。今回登場はブラックハウンド鑑識班から機動捜査課に出向中の遊月ひなた巡査。

【天下無双・零】 アルティメット・ランブル編 22

■RESEARCH SCENE 14/宮坂凱


 ▼

「――さて、まずは君の戦種(スタイル)を決めにゃならん」
「戦種……?」
 ひとけのない居室の奥には、ジェスタ・エンタテイメント社長の住まいにはあまり相応しくないと思える巨大なスペースが設けられていた。しかし、この邸宅の持ち主がかの“炎の闘志”であるのならば、誰もが納得してしまうだろう。
 アマチュアレスリング、ムエ=タイ、空手、柔道、合気道、ジークンドー、中国拳法、相撲、総合格闘技、そして――ボクシング。呆れるほどの空間に、所狭しと最新鋭の設備を備えたリングが、いくつも並んでいる。
 およそ、あらゆる無手の闘技に対応したこの空間で、30年。アキレス伊波が己の肉体を全盛期のままに保ち続けてきた。
「そう、戦種。君自身のスタイル、生き様だよ」
 Tシャツ一枚にカジュアルなズボン、ベルトは無し……ラフな服装に着替えた伊波は、今だ現役と言っても通用しそうな分厚い胸板を、そろえた指でとんとんと叩く。
「要するにここ――ハートの問題だ。俺はレスラーであって、ボクシングには詳しくない。そりゃあ一通りの知識はあるが、凱くんには遠く及ばんだろう。釈迦に説法もいいところだ。……痛くない殴られ方くらいはレクチャー出来るかもしれないがね。
 かと言って俺が他の技術を君に教えたところで、付け焼刃にしかならんだろう。だから、俺が教えるのはもっと別のことだ」
「……訳が分からない。あんたはニューロ・ゼンの講師でも始めたのか?」
 いきなりの曖昧な精神論に、宮坂はまじまじと伊波の顔を覗き込んだ。
「ははは。まあ昔一度かじってみた事はあるが、ありゃ駄目だな。何しろ目の前の相手を殴るなと言われるんだ。商売にならん」
 伊波はそう言うとリングのトップロープを跨ぎ、リングの上に飛び乗った。一つ高くなった目線で、宮坂を招く。
 宮坂は怪訝に思いつつも、そっと握り締めた拳を前へと突き出した。
「伊波さん、あんたの言ってる事は良く分からない。俺にできるのは一つだけだ。こいつをぶん回すくらいしか、俺は闘い方を知らない。
 いままでもそうだった。これからも同じだ」
 ストリートキッズの間に入り混じって遊んでいた頃も。、施設の恩情で通わされたジュニアスクールでいけ好かない先輩連中に囲まれた時も。粋がってゾクの頭を張り、ハイウェイを駆け巡っていた頃も、遥か高みにある王座を目指し、歯を食い縛ってトレーニングに明け暮れた時も。
 宮坂凱は、自分の全てを拳ひとつで勝ち取ってきた。
 だが――アキレス伊波は首を振る。
「違うさ。重要なのはどう戦うかじゃない。どう勝つかさ、凱くん。……確か君は、リングの外で拳を振るわないと、そう誓っているそうじゃないか?」
「どこで、聞いた?」
 唐突に触れてはならない場所に触れてきた伊波に対し、宮坂は怒気を滲ませながら声を荒げた。
 ありふれた誓いだ。前だけを見てがむしゃらに拳を振り回し続けてきた宮坂が、人を傷付けても、リングに上がり続けることを許してもらうための、理由。
 しかし、それは宮坂にとって神聖不可侵な理由だった。
「それでは……奴に勝てないと、あんたはそう言いたいのか」
 半身に構えた世界ランカーの射程内、コンマ数秒で必殺の一撃が放たれてもおかしくない間合い。プロボクサーのジャブは人間の反射速度の限界を超える。いかに打撃に強い耐性を持つ重量級のレスラーとて、防御の為に筋肉を硬直させるにはわずかの時間が必要のはずだった。
 宮坂にはそれよりも速く、己の拳を打ち込む自信がある。
 まして、相手は現役を退いたロートル。見かけは変わらずとも、確実にどこかに衰えがある。怪我があるとは言え、宮坂が遅れを取る事は考えられなかった。
「……答えろ。アキレス伊波」
 返答によっては斬り捨てる。それほどの気迫を込めた一喝。
 睨み殺されてもおかしくないほどの視線を前に、伊波は悠々と胸に溜めこんだ息をゆっくりと吐き出し、肩を竦めてみせた。
「俺にも出来の悪い弟子が多くてね。柄にもなく興業を無視して、格下相手の真剣勝負(セメント)に応じた上、負けた次の日には良く言うのさ。……『アイツに勝てるんだったらどんなことでもしてやる、特訓してくれ』とね。
 なあ凱くん。馬鹿馬鹿しい話だと思わんかい。そんなに勝ちたけりゃ今すぐカタナでも銃でもウォーカーでも好きな得物引きずってきて、不意打ちでも夜襲でもなんでもして膾斬り蜂の巣ミンチにしちまえばいい。そもそもちっとばかし、掃除屋に払う依頼料を惜しまなきゃもっと楽に済む話だ。特訓も何も必要ないだろう。なあ、違うかい?」
 いつしか――
 宮坂は、自分が奇妙な感覚に囚われつつあることに気付いていた。
 一歩踏み込めば間違いなく届くはずの距離に、無防備に立つ男の――そのどこを狙っても、自分の拳が当たる気がまるでしない。幅で1.5倍、体重では2倍近い差のある巨漢が相手だというのに。
「勝ちたいならどうすればいい。そいつを考えるんだ。人間ひとりに勝つなんて、手段さえ選ばなきゃ方法は無限にある。だが、それは許されない。何故か? 俺達プロレスラーの答えは単純だ。そいつには、華がない」
 ここはアキレス伊波の王国だ。何千という選手と、何十万というファンを従え、格闘技界の頂点に立った男が君臨する絶対王権の圏内。
 たとえ戯れでも歯向かうことは許されない。それ可能となるのは、王自らがそう命じた時だけなのだ。
「あくまで正統派に、堅固に、華麗に、劇的に、華々しく――勝つ」
 リングを降りてなお、アキレスの闘魂は少年のように純粋だった。勝つこと――いや、強さを魅せる、“炎の闘志”の生き樣(スタイル)と戦種(スタイル)。それに圧倒され、宮坂はいつしか膝を付いていた。
 この男には、勝てぬ、と。
 一流のボクサーたる闘士の本能が、拳一つ交える前に、敗北を悟ったのだ。
「さあ凱くん。君はどうやって彼女に、鵺野七希に勝ちたい」
 そうして微笑む伊波を、朦朧と見上げながら――
 宮坂は、己の選択が間違っていなかったことを確信していた。


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【天下無双・零】 アルティメット・ランブル編 21

■RESEARCH SCENE 13/宮坂凱


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「どこに行ってたんだ、宮坂!? 傷心もいいが程々にしてくれ!! 分かるか、お前はもう一人の身体じゃないんだぞ!? 確かに昨日は少々トラブルも起きたが、万事上手くいった。公式に流しちゃいないが次の防衛戦だって迫ってるんだ。すぐに着替えてくれ、早速始めないと――」
「ダニエル」
「な、なんだ」
 駆け寄ってきた黒人のトレーナー、ダニエル藤宮を静かに制し、宮坂はジムの中を横切ってゆく。
「その予定はキャンセルだ。ジムもしばらく休む」
「……ジーザス!! おい宮坂、宮坂、宮坂!! 一体誰に、何を吹き込まれた!! トチ狂うのはよせよ宮坂!! ああ、お前は疲れてるんだ。何をするつもりか知らんが、馬鹿げた妄想に付き合おうなんて思うな!!」
 アルベルト間垣との契約を打ち切って3年。障害でたった一人の師に代わり女房役を務めてきたダニエルには、宮坂の態度はあまりにも唐突な心変わりと映ったのだろう。
 だが――恐らくダニエルには解らない、と宮坂は口の中の苦い味を噛み締める。
 逃げ場の無い一辺6mに満たない正方形のリングの上で、閃光のように放たれる、少女の一撃。
 あまりにも奔放で、あまりにも無慈悲で、あまりにも――美しかった。まだハイスクールに達するかどうかの、少女の細腕が放つたった一発の拳で、宮坂はこれまで積み上げてきた全ての自信と、矜持と、強さを失った。
「宮坂、まだあんなことを気にしてるのか!? あんなものただのマグレだ、決まってるじゃないか!! 調子に乗ったファンにサービスしてやっただけの話しだろう!? 報道監制だって引いた!! ウェブの噂なんざ気にするな、言いたい奴には言わせておけばいいだろう!! お前が世界最強の男なんだってことは、誰よりも俺がよく知ってる!!」
 喚くトレーナーを無視して、宮坂はロッカールームへと入る。もう何年も入れっぱなしの中身を引っ掻きだし、ありったけバッグの中に放り込む。
「宮坂、宮坂、俺の話を聞け!! お前は疲れてる。そうさ疲れてるんだ。まずは一晩ゆっくり寝て頭を冷やせ!! それからだって遅くないだろう!? ああ、お前がそうしたいって言うならお前の希望は最大限聞こうじゃないか!!」
「――邪魔だ。どいてくれ」
 腕を広げて回り込んできたトレーナーを、宮坂は手加減抜きで押しのける。
 鼻面に一撃を叩き込まれたトレーナーは噴出した鼻血を押さえてうずくまった。肩に食い込む重いバッグを担ぎ、宮坂は足早にロッカールームを出る。
「み、ヤサカ……ッ!?」
「ほ……本気で言ってるんですか、宮坂さんっ!?」
「ああ。……どいてくれ」
 騒ぎを聞きつけやってきたジムの後輩達が、宮坂の気迫に圧されてあとずさる。
 宮坂はちらりと後ろを振り返った。指の間からぽたぽたと血をこぼして呻くダニエルをの姿を見て、宮坂は吐息する。
「あれがマグレとか気の迷いにしか見えないなら、悪いがダニエル、お前じゃ俺をあそこに、あの場所に届くようになるまで鍛えきれないんだ」
「ど……どこに、どこに行くつもりだ、ミヤサカッ!!」
 無様な相棒に、心の中で静かに感謝を継げながら。
 宮坂はもう振り返らない。
「アキレス伊波」
 あの人の下でなら、俺はもっと強くなれる。そう続けようとした言葉を飲みこんだのは、ダニエルへのせめてもの配慮だった。
 確証など無い。理由などない。それでも宮坂はそう確信し、荷物を手にジムを後にした。



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【天下無双・零】 アルティメット・ランブル編 20

■RESEARCH SCENE 12/宮坂凱


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 ここで、時は少々遡る。
 鵺野七希が世界バンタム級タイトルマッチに乱入し、新王者宮坂凱を、完膚なきまでに叩きのめした、その二日後。
 もぎ取ったはずの世界チャンピオンの栄光などどこにもない濁った表情で、場末のバーのカウンターに向かい酒を煽る宮坂の姿があった。
「……くそっ」
 苛立ちと共にカウンターのテーブルを殴る。剥き出しの拳は分厚い合成樫の板をえぐり、拳骨のかたちのくぼみを刻んだ。
 空虚な拳が痛む。ずきずきと不快に響く骨への疼痛は、アルコールに濁った宮坂の脳を揺らし続けた。ぐらぐらと揺れる視界に頭痛までぶり返してきて、宮坂は歯を軋らせ、空になったグラスをカウンターに叩き付ける。
「――爺さん。……おい、爺さんっ」
 薄暗いバーの中にマスターの姿を探すが、店内にはいつの間にか誰の気配もない。独り取り残された宮坂は、憤懣を爆発させて近くの椅子を蹴倒した。
「畜生……ッ」
 壁に飾られていたチャンピオンベルトのレプリカが、地面に転がってテーブルの下敷きになる。全てを引き換えにしても良いと思っていたはずの、世界最強の男の証。
 確かにあのタイトルマッチの後に起きた事件――事故は、まったくのイレギュラーだ。まともな試合と呼べるかも疑わしいし、そもそも勝負ですらない。WBOの正式な手続きが踏まれ、宮坂が前チャンピオンとのタイトルマッチを制した以上、世界のベルトは宮坂の手の中にある。
 だが――飛び入り観客の小娘に開始1秒一撃KOされたチャンピオンが、どの面を下げて世界最強を名乗れるのというのか。
 掴んだはずの夢は、手のひらの中で灰になって崩れ落ちていた。無残に、惨めに、徹底的に。
「何のために、俺は……ッ!!」
 自暴自棄になった宮坂が再び振り上げた拳は――
 力強い手のひらに、しっかりと受けとめられていた。その掌の持ち主に、宮坂は目を剥く。
「あんた……」
「どうした、シンデレラボーイ。荒れてるな」
 伊波健司。
 あるいは“炎の闘志”アキレス伊波と呼んだほうが相応しいのかもしれない。が、そのハンドルを持つレスラーはすでにいない。昨年、N◎VA最大のバトル・ロワイヤル『天武争覇』に挑んで無名の荒事屋に破れたアキレスは、惜しまれつつも現役引退を表明した。今は自分の所属団体の流れを組む総合格闘団体WRAの理事を務めている、社長:伊波健司だ。
 上等な仕立てのスーツに2mを軽々と越える体格を押し込めてなお、かつてあらゆる栄華を欲しいままにした炎の闘志は、まるで衰えている様子は見られなかった。
 むしろ宮坂を見る視線には、以前のストロング・スタイルを標榜していた伊波が見せようとしなかった危うい昏さがあった。アキレス伊波という男の昔を知る人間ならば、誰もが身に染みているであろうアンダーグラウンド時代の彼の危うさ。――対戦相手をマットではなくコンクリートの下に沈めた、かつての伊波の姿を。
 伊波健司は、社長業に就いて後、かつてのそうした昏さを再び前面に押し出すようになっていた。
「なんで、あんた……ここが」
「飲むのは悪くないが、いい酒を選ばなきゃな。そうだろう?」
 呆然となる宮坂の隣に、伊波は構わず腰を下ろす。合成樹脂のテーブルがその巨体に圧されるようにぎしりと軋む。棚から勝手に選び出したウィスキーのボトルがカウンターに置かれた。グラスに氷もないまま琥珀色の液体が注がれる。
「悔しいか? 悔しいだろうね。解るさ、解るとも」
「……何の話だ」
「勝ちたいんだろう、あの小娘に」
 致命的な一言を囁かれ、息が止まる。
 宮坂はいつのまにか伊波の気配に呑まれている自分を自覚していた。
「誰が、あんな子に……」
「虚勢を張るなよ凱くん。誰だって……男なら誰だって、矜持ってもんがある。何年何十年、こいつひとつで生きてきた男たちがいる。君もその一人だろう」
 握り締めた無骨な拳を示して、伊波は薄く笑った。
「彼女はそいつを踏みにじった。何十億人、何百年に一人っていう天賦の才能でな。
 なあ、凱くん。……不公平だとは思わないか。俺達が血反吐を吐く想いでやってきた全てを、彼女はただの無駄だと言ってのけたんだ」
「…………、」
「そいつが許せるのか。産まれた瞬間に、決して敵わない相手がいると確定する、馬鹿げた運命なんてものを許せるのか、宮坂凱ッッ!!」
 伊波健司は――否。アキレス伊波は哭いていた。
 炎の闘志(スピリット・オブ・ファイア)。そう呼ばれ、生涯現役を貫くと思われていた男の電撃引退は、格闘技界に留まらず各所に衝撃をもたらしていた。多くの報道機関がその真意を探り、先の天武争覇での敗北を理由に好き勝手な憶測を元にした記事を書き立てていたが――
 それは恐らく正しくはないだろうと、宮坂は確信した。
 公式には明らかにされていない場所で。自分と同じように。伊波もまた夢を打ち破られたのだ。
 あの――鵺野七希という、少女に。
「…………勝てるのか」
「ああ」
 胡乱な宮坂の瞳に、輝きが灯る。燻るような闘志の再燃を見た伊波は、おもむろに会心の笑みを浮かべ、頷いた。
「勝てるとも。キミなら、絶対にな」



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