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博麗神社例大祭告知

#5/27 23:50追記
 イベントは無事終了いたしました。新刊無事完売となりました。ありがとうございます。
 また、昨年の例大祭の新刊であった当サークル初のオフセット小説本「虹と私は離れて遠く」、めでたくこの1年で完売となりました。どうもありがとうございます。
 参加された皆様、お疲れ様でした。

 新刊については次のイベントにも少部数ながら持っていく予定であります。よろしくお願いします。







 来たる5/26(日)の第10回博麗神社例大祭にG08b「折葉坂三番地」で参加します。

 新刊「妖夢討夜鳥事(ようむよるどりをうつこと)」 A5折本 36ページ 100円
例大祭10新刊表紙

 幽々子様に言われるまま、鵺退治に出向いた妖夢。しかし肝心の鵺はてんで弱く弱点であるお化け克服の役には立たなかった。しかたなく墓場でお化け傘相手に特訓をするものの、いまいち歯ごたえのない相手に首をひねる日々。
 そんなある日、買い物帰りに鈴仙とお茶をしていた妖夢の元に、黒雲を呼び寄せる不気味な化物が襲いかかる。

 あらすじがほぼ全ての内容を示した妖夢VSぬえ本であります。うどんげの出番も割と多め。

 他、既刊に「袖振り合うも化生の縁・廻」(八雲幻想祭)、「捕らぬ狸のアペンディクス」(御阿礼祭)、「虹と私は離れて遠く」(例大祭9、残部少)も取り揃えております。
 東方小説の缶詰にも参加させていただきました。


 新刊サンプル、詳細などは折葉坂三番地情報Blogにて。


 ↓一応こちらにも新刊サンプ貼っておきますね。
 ■一■

 生温い風が首筋を撫でるように吹き抜け、風雨に晒されて文字の薄れた卒塔婆がからからと鳴る。
 薄暗い墓地は鬱蒼とした木々に囲まれ昼なお暗い。そこここに灯る青白い燈火の中に、羽虫が自ら飛び込んで短い命を終え、じじじと焦げ音を立てて小さな煙を上げた。
 角型の墓石が規則正しく立ち並ぶ無縁墓地は、ただひたすらに広大だった。果ては遥として知れず、ふと気を抜けば自分がどこを歩いていたのかも見失いかねない。傾いた墓石の陰から這い出した鬼火がふらふらと飛び交い、地に落ちた墓影を揺らめかせる。
 生者と死者の住まう境、此岸と彼岸を隔てる川面、顕界と冥界が触れ合う世の狭間は、こうして人里に近い場所にも存在しているのだ。
「きゃあーーーーっ?!」
 幽玄の趣深い死廟の光景とは裏腹に、響く悲鳴はどこか間の抜けた色合いを帯びていた。……喩えるならば、絹ではなくて麻か木綿を裂くような。
 空に響くのは撃破(スペルブレイク)の快音と閃光。天を塞ぐように枝を広げる木々の合間で、いくつかの影が交錯する。鬼火の間を飛び回る羽虫が驚いたように身を震わせ、姿を消す。
 小さな足音と共に、墓石の合間に少女が降り立った。額で揃えられた美しい銀髪に、活動的な膝上丈のスカート。その手には小柄な彼女の体躯に不釣り合いな、長尺の太刀が握られている。白刃が鬼火の輝きを受けて青白くきらめいた。
 一拍遅れて、ふわりと半透明の白い霊がその傍に寄り添う。
 半人半霊の庭師、魂魄妖夢は、四尺七寸の大太刀楼観剣の露をひゅんと振るって落とし、瞑目と共に腰の鞘へとおさめる。
「ぁああ―――――……」
 そしてわずかに遅れて、先程の悲鳴の残滓を引きずりながら墜落してくるもう一つの影があった。
 梢を激しく揺らし、煙を引いて落下してくるのは、青い服の少女。地面に激突する直前に墓石の角にぶつかって『ぐえっ』と鈍い呻きを上げ、倒れる墓石の地響きが苔むした燈籠を揺らす。
 鬼火が一斉に揺らめき、わずかに火勢を強めた。
 ほうと息を吐いた妖夢が残心を取ってそちらを見れば、一際ぼろぼろになった茄子色の傘を握り締め、被弾で黒焦げとなったお化け傘が目を回していた。
 目を回したまま動かない彼女――多々良小傘と、己の掌中の刀を見比べて、しかし妖夢は思案顔。眉を寄せて一人、納得のいかぬ表情で首を傾げる。
「うーん……」
 ……本日の対戦成績、六戦全勝。命名決闘法(スペルカード・ルール)に基づく規定は一死三符(残機1ボム3)。いずれも小傘の繰り出したスペル全てを真っ向叩き斬っての圧勝であったが、それでも妖夢の表情は晴れなかった。
「……なんだかあんまり克服できた感じがしないなあ」
「いきなり斬りかかってきてひどい言い草だなあっ!」
 小傘はがばと身を起こして叫んだ。頭には真新しいたんこぶを作り、髪をちりちりと焦がし、涙目に煤だらけの顔と、もはやお化けの貫録は微塵もない愉快な姿だ。
 日々、通りかかる者に見境なく襲いかかっては『うらめしやー! おどろけー!』と繰り返している彼女とて、辻斬り同然に切りかかってこられた上でこの言われようは、流石に理不尽というものだろう。
「もぉー! なによぅ、毎日毎日斬りかかってきてっ! 何か私に恨みでもあるのっ!?」
「うーん……」
 お化け傘に怨恨の動機を疑われるというのは割合と希有な経験かもしれないが――手足をばたつかせ、涙ぐみながら抗議の声を上げる小傘に、しかし妖夢はやはり難しい顔。しばし考え込んでから、口を開く。
「もうちょっと真面目におどかせない?」
「存在全否定のダメ出しされたっ!?」
 六戦全敗の挙句、とどめとばかりにお化け傘のプライドもぽっきりへし折られ、ついに小傘はいじけてその場に座り込んでしまった。ぐすぐすとすすり泣きながらいじけて地面に『の』の字を書き始める。
「ううぅ……ぐすっ。いいもん……どうせ私なんかいらない子なんだ……。最近はどこに顔出しても空気読めみたいなこと言われるし……」
「あ、そっちの方がまだ少しは怖いかも」
「うわぁーーーーんっ!」
 無慈悲な追い打ちにとうとう大声まで上げて泣き出す小傘。付喪神の感情の高ぶりは涙と成り、弾幕へと変じる。
「うわっ、っと」
 押し寄せる大粒の涙滴弾に、妖夢は反射的に腰の剣を抜き放っていた。迷いを断つ短刀の刃が宙空に旋回、白刃が残像を引き、盾となって弾幕を弾き返す。
 ――反射下界斬。鏡の如く輝く刃に反射された弾幕が、そのまま小傘に跳ね返った。
「もぉやだー!」
 自分の弾幕に被弾して、再度悲鳴を上げつつ吹き飛ぶ小傘の悲鳴が、被弾音の連奏にかき消えてゆく。
「あ、えーと……ごめん」
 流石に悪い事をしたかなと思う妖夢だが、焦げて突っ伏し動かなくなった小傘にはもはや聞こえていないようだった。
 なんとなく後ろめたい部分は覚えつつも、妖夢は手の中の二振りに視線を戻す。
 お化けや怪談は、妖夢の苦手なものの一つだ。
 昔からその事ではよく主にはからかわれていたものだ。永夜異変の余禄となった竹林の肝試しでは、すっかり怯えてしまって酷い醜態をさらしたのはいまだに恥じ入るばかりである。
 見習いとはいえ仮にも白玉楼の剣術指南を預かる身。果たしていつまでもそんな甘えが許されるのかと思うに至って、妖夢はこの弱点の克服を決意したのであった。
 先頃よりこうして墓場へ出向いて、毎日特訓に明け暮れる日々なのだが――どうにもこの愉快な忘れ傘相手では修行になっていない気がしてならない。
(でも、他にいい相手も知らないし)
 地底の鬼、星熊勇儀との一戦から戻った妖夢は、幽々子の申しつけ通りに渋々鵺退治へと向かい、見事彼女を討ち果たした。
 ……そりゃもう、呆気ない程にあっさりと。
 先頃新しく出来たばかりの寺に棲み付く件の怪物、鵺とやらはやたらに可愛らしい格好をしていて、『お前はここで終わりだがな!』などと自信たっぷりに不意を打ってきたが、少しばかり奇をてらった程度の弾幕、地底で鬼の四天王との戦いに明け暮れ、勝負勘を研ぎ澄ませていた妖夢にとっては、正直欠伸の出るような子供騙しのものでしかなかったのだ。
 最後の一枚らしいスペルもさしたる不自由なく避けた妖夢が一気に間合いを詰めて楼観剣を振るうと、鵺はあっさり撃墜されて地面に転がり気を失う始末。仕舞いには彼女の後見人らしい佐渡の化け狸が割って入り、あんまり苛めんでやってくれんかのうと釘を刺されるという、実に締まらない結末であった。
 あんまりにも残念なオチであったため、詳細までは幽々子にも報告していない。思うような鵺は見つからなかったと言う妖夢に、主人はいつものように『駄目ねえ妖夢は』と微笑むばかりだった。
(……弱点、かあ)
 ここ暫く、立て続けに妖怪退治を命じる幽々子の真意は、恐らく自分の苦手を克服しろという事なのだろうと妖夢は理解している。
 確かに、地底での鬼との対峙に妖夢が学んだことは多かった。正々堂々、真っ向勝負、嘘を嫌うゆえの融通の利かなさ。精強さの極致、力の象徴のような鬼ですら、その強さに大きな長短を抱えていたのだ。勇儀との一戦は、妖夢にとって自分の強さ、己の抱える欠点を見つめ返す良い契機となった。だからこそ今回、お化け克服なんてことを思い立ったとも言える。
 これまでは単に恐いの一言で片付けてしまっていたけれど、改めて考えてみれば、妖夢は幽霊が怖いのではない。そもそも亡霊と幽霊だらけの冥界は白玉楼で、彼等の存在は日常である。そこで庭師を務める妖夢がそんなものを怖がる理由が無いのだ。それを言い出したら、半分は幽霊である自分の半分にも怖がらなければいけない理屈になる。
(いやまあ、自分の一部だって暗い所でいきなり目の前に来たりすれば驚くけどね)
 ちらと傍らの半霊を見、一人納得する。そういうのはたぶん、普通の人間でも同じだろうと考える妖夢であった。
 そして、怪物が怖いのかと言うとまた少し違うような気もする。霊廟の異変で出会った動く死体であるキョンシーも、おどろおどろしく現れるお化け傘も、いまいち自分の恐怖を呼び起こすようには思えなかった。
 では一体、この恐怖の源はなんなのだろう。妖夢の疑念は目下そこに集中していた。
 どちらかと言えば、妖夢が苦手なのは怪談話のたぐいだ。因縁めいて語られる凄惨な事件、そこに残る怨嗟、怨念。理不尽に無差別に襲いかかってくる正体不明の怪物。つい、色々と思い出しそうになり、妖夢は慌ててぶんぶんと首を振った。
「うーん…………」
 考えてみれば、例の肝試しの時も、面白がった他の面子にいろいろと怪談を吹き込まれてしまったのがあの失態の原因だったように思う。
 では一体、それらの怪談話と目の前のお化け傘、一体なにが違うのかと言われると良く分からないのだが……ともあれ、自分が捨てたわけでもない傘にうらめしやーなどと言われても、実際何が恨めしいものやらで、むしろどう反応していいものか困るのは確かである。
 それでも他に良い修業相手がいるとも思えず、とりあえず、せっかくロケーションまで気にして墓場に出向いている訳だが――どうにも小傘相手の特訓には手応えが感じられなかった。
「うん。いつの間にか克服できてたのかな」
 結局、結論は出ないまま妖夢は前向きに頷いた。どう見ても明らかに人選ミスなのだが、そのあたりのことはあまり気にしない妖夢である。基本的には単純な娘であった。
 ごぉんと遠く寺の鐘が鳴る。後を追うように山彦の大声が時報を告げる。命蓮寺の妖怪達によって鐘は律儀に毎日同じ時刻に鳴らされ、最近では随分重宝されていた。
「いけない、もうこんな時間だ」
 物思いに耽っていた妖夢は慌てて立ち上がった。楼観剣を背に、白楼剣を腰の定位置に戻し、ぴょんと倒れた墓石から飛び降りる。相変わらず泣きべそをかいている小傘に軽く手を上げ、走り出す。
「じゃ、またね」
「もぉ二度と来るなぁー!」
 涙交じりの小傘の声を背に、妖夢は墓場を後にした。





 ■二■

 人里の商家が立ち並ぶ通りは、今日も喧騒に満ちていた。
 食料品、呉服屋、小物問屋、茶店に質屋に両替商。里の経済の中心たる半町ばかりの大通りには様々な店が軒を並べ、月に三度は広場に市も立つほど。朝から晩まで客足が途絶えることは無い。
 空を飛ぶ妖怪や魔法使い達の着陸路も兼ねる十間通りの人混みの中、両手に背中に、里の商店を巡って仕入れた雑貨や食糧を山と抱え、妖夢は買い物に走り回っていた。
「……よっと。どうもありがとうございます」
「おうよ、毎度ありぃ」
 雑貨店の店主に頭を下げ、買い込んだ荷物を背負う。
 妖夢が特訓で通いつめている命蓮寺裏の墓地は人里に近いため、最近はついでにここで用事を済ませることが多くなっていた。冥界の近くにもこうした品物を取り扱う商店が無い訳ではないが、やはり新鮮な食材や流行の品、安くて質の良いものはここでなければ揃わない。
 中有の道の店は主として地獄で罪を償う魂が功徳を積むためのもので、中には不心得者が質の悪い品を売り捌いたり、逆に職人が精魂込めた品を露店でただ同然で投げ売りしたりと、どうにも品揃えが読みにくい店ばかりなのである。
 ぎっしりと中身を詰め込み、はち切れんばかりに膨らむ買い物袋はひとつ十キロをゆうに超えるものばかりだ。それを三袋ずつ手に提げてものともせず、さらには自分の数倍の大きさの荷物を背負いながら、妖夢は涼しい顔でたったかと通りを走ってゆく。
 少し離れて眺めてみると、荷物の山が宙を飛んでいる隙間に妖夢が押し込められているようにも見えた。人混みの向こうからも見える巨大な荷物の山に、通りの人々も思わず道を譲る。
 そんな妖夢のすぐ後ろを、お手製の背負い籠を乗せた半霊がくっついてゆく。こちらも籠に溢れんばかりの雑貨を抱えていた。半霊と荷物を分担する事を思い付いたのは最近である。……どうせどちらも同じ自分なので相対的に負担は変わらないのだが。
「ええと……次は、と」
 用意した買い物リストに視線を落とし、人通りを避けて通りの端に身を寄せれば、
「あ、妖夢」
「鈴仙さん」
 通りの向こうから現れたのは見知った顔だった。薬箱を背負った永遠亭の月兎、鈴仙・優曇華院・イナバ。暑いからかジャケットを腰に巻き、薄い布地のシャツの袖を肘までまくったラフな姿である。
 竹林の賢者こと八意永琳が、永遠亭の名前で人里で置き薬の商売をしているのは周知のことだ。永琳を師匠と仰ぐ薬師見習いの彼女は、週に一度ほど契約している家を回って常備薬の交換と販売をしている。ついでに辻でも薬売りをしているのだが、こちらも上々の評判だった。
 いつも隣にいる相方の小さいほうのウサギの姿が見えないことを珍しく思いながら、妖夢は挨拶を返す。
「今日はお一人なんですか?」
「そうなの。てゐがサボったから時間かかっちゃって」
 疲れた様子でぼやく鈴仙。長い兎耳はいつもよりも心持ちくたびれ気味だった。
 鈴仙と妖夢は永夜異変以来の知己だ。あの終わらない夜の異変の最中に出現した真実の月の光に当てられ、狂気の眼を発症してしまった妖夢は、治療のため永遠亭へ通院することになった。鈴仙とはそれがきっかけで仲良くなり、気付けば幻想郷に住む数多くの人妖の中でも、一番気の合う話し相手となっていた。
 よく永琳やてゐに振り回されてとばっちりを受けている印象が強い鈴仙だが、彼女自身は決してそんな扱いを嫌っている風でもなく、無理難題を押しつけられたり、悪戯兎に騙されてぼやきながら懸命に走り回っている姿をよく見かけた。
 妙に気が合うのは同じように無茶ぶりする主に仕えているという共通点があるからかもしれない。自分の事は棚に上げて、苦労人だなあと思っている妖夢である。
「妖夢も帰り? ちょっとお茶してかない?」
「うーん……」
 魅力的な誘いに心が揺れる。ちらりと通りの時計を見れば、急いで戻らなければならないというほど切羽詰まってはいないが、それほど余裕があるとも言えない時間だ。
 とは言え妖夢だって女の子だ。乙女の端くれとして甘いものの魅力には抗いがたかった。
「……じゃあ、少しだけ」
「よし、じゃ決まりね」
 にこりと微笑む鈴仙。この笑顔が忘れられず、最近ではわざと風邪をひいて永遠亭に行く理由を作ろうとする、後先を考えない若い男も出ているとか。
 荷物を持とうとしてくれる鈴仙に遠慮しつつ、二人はつれだって里の大通りを抜け、一本奥に入った茶店の軒先へと腰を落ち着けることにした。表通りには地底産の珈琲や紅茶を出し、レコードで幺樂を利かせ、夜には舶来の酒を振舞うハイカラなカフェも並んではいるものの、妖夢も鈴仙もあまり洋風の甘味は好まないのだ。割烹着の店員に妖夢は素甘、鈴仙は葛餅と渋茶を頼み、軒先に出された長椅子に並んで座る。
「うんっ……」
 山と積み上げられた妖夢の荷物の隣、背負っていた薬箱を下ろし、鈴仙も肩を回して伸びを一つ。スカートの裾を持ち上げて、ぱたぱたと扇ぐ。礼儀正しいお嬢様方にははしたないと眉を潜められそうな仕草だが、鈴仙がすると不思議と様になっていた。
 そんな彼女の言動の端々に、時折、訓練された兵士の仕草が覗くのを妖夢は知っている。
 ある種の美学である剣士の戦い方とは違う、信条や心情など無視して効率よく相手を無力化せんとする合理的な暴力の振るい方。注意を怠らず、油断をせず、命も尊厳も戦略に組み込んで、準備を整えて淡々と決行する、厳格な判断。それは普段の鈴仙の性格からは似ても似つかないもので、彼女が黙して語ろうとしない過去に関係ある事なのかもしれない。気になりはしたが、妖夢は今のところそれを尋ねたことは無かった。
「だいぶ暑くなったよねえ。ちょっと前まで妙に寒かったのに」
「そうですねえ。……ひゃんっ!?」
「んー……冷たくて気持ちいい……」
「れ、鈴仙さんっ」
 答える妖夢の半霊を抱き寄せて頬を押し付け、そのひんやりとした触り心地に目を細める鈴仙。くすぐったいし、どうにも気恥ずかしいので妖夢は常々止めて欲しいと言っているのだが、あまり聞いてくれる様子がないのだった。
 初夏の陽気の今日は半袖でも汗ばむほどだ。そのうち梅雨がくれば冥界でもじめじめと鬱陶しい日々が続くだろうが、今は空も高く、輪郭のはっきりした雲がそこここに見える。
「お待たせしました」
「来た来たっ♪」
 やって来たお茶に甘味をつまみながら、少女二人が集えば自然話も弾む。主の話、天気の話、最近ちょっと話題になっている里の貸本屋と、そこに出入りしている粋な女商人。やがて来るだろう次の異変の話、人気争奪戦を始めたという仙人や寺の面々。とりとめもなく話題は流れ、やがて妖夢の修行へと移った。
「……むぐ。……んー。恐怖心ねえ……」
「お恥ずかしながら」
 少し頬を赤らめつつ、妖夢は鈴仙に、最近取り組んでいる恐怖心克服のための特訓の説明をする。
「おばけが怖いなんて、可愛らしくていいと思うけど……って話じゃないか。ごめんね」
「いえ。本当のことですから。……でもなかなか思うようにいかなくて。なにか、良い方法はないかなと思っていたんです」
「うーん……」
 鈴仙は腕組みをし、赤い瞳を閉じてしばし瞑目する。
「難しい話だなあ。恐怖とか、怯えみたいな感情を強制的にねじ伏せる薬ってのはあるけど……妖夢が欲しいのはそういうのじゃないよね?」
 問われ、妖夢はこくこくと首肯する。
 恐怖とは、翻せば生きたいという本能だ。怯えも恐れも、己を脅かす危機から自身の命を守ろうとする自然な心の働きである。無論度を越せば恐怖で身動きすらできなくなることもあるが、個が自己を維持するための必須の感情であることは疑いようがない。ゆえに、戦いにおいて何よりも大切ながら、同時に酷く邪魔になるものでもある。何かを守ろうとする戦いであれば尚更だった。
 鈴仙はゆっくり頷き、自分の眼を指差した。彼女の目は狂気の眼――人の心や感情を走査し操作する能力をもっている。
「私の眼の話になっちゃうんだけど、恐怖に限らず、感情っていうのは心の波、心理の波長の乱れって言いかえることができるの。だから、私はある程度それを動かすこともできる。……でもね、水面がいつも静まっていることがないように、心が波立たないってことは普通、ありえないことなんだ」
 風が吹いたり、小石が投げ込まれたり、魚が跳ねたり、大地そのものが揺れたり。外からの要因によって心は容易く乱され、揺れる。その刺激が強ければ水面は大きく波立ち、時には器から溢れる事もあるだろう。
 手の中の湯呑みを傾けて、鈴仙はほうと息を吐く。
「それを揺らさないようにするっていうのは、不自然っていうか……どうしたってあまり良くないことなんだよね。例えば、水面を凍らせたりして、硝子みたいに硬く保っていれば、少しくらいの刺激ではびくともしなくなる。でも、もしそれに耐えきれないような大きな衝撃があれば、硬い心はそれを吸収しきれずに割れてしまうかもしれない。そうなると、内側に閉じ込められたものが一気に噴き出して、もっとひどいことになるの。いくら凍らせようとしたって、心を器の底まで完全に凍らせることはできないし、仮にそれが可能だったとしても、もしそれが割れるような激しい衝撃が来たら、今度は器そのものにまで影響が出るかもしれないんだ。
 ……それにね、揺れ動かない感情は、感情とは呼べないもの。正しいものじゃないから」
 付け加えられた言葉は、強い実感のこもったものだった。あるいはこれも鈴仙の実体験なのだろうか。敢えて指摘することはせず、妖夢はじっと鈴仙の言葉に耳を傾ける。
「だから、外からの刺激に対して身を固めて、弾こうとするんじゃなくて、外部からの刺激を深く受け入れて、それによって起きた波や乱れを無理に抑えつけたりせずに、散らしててしまうのが正しいんじゃないかな。大きくて穏やかなうねりのイメージね。海の――って言っても分からないか、大きな湖の中に小石が落っこちても、岸の波の揺れは変わらないでしょ? そんな感じかな」
「……なるほど」
 鈴仙の薫陶に、妖夢は深く頷いた。
「確かにそうかもしれません。言われてみれば幽々子様もそんな印象がありますね」
「うちの師匠と姫様もね」
 くすりと微笑んで鈴仙。あー、あの境地は見習いたいわー、と赤い目と大きな耳を揺らして、鈴仙はなんとも味わい深い表情を覗かせた。憧憬と共に、朱に交わりたくないという複雑な感情があるようだ。
「まあ、そんな感じかなあ。見習い判断で申し訳ないけど、参考になればってことで」
「そんなことはないです、ありがとうございました」
 謙遜する鈴仙に、妖夢はしっかりと礼を述べる。自分だけでは意識することでもできなかった目的に、漠然としたものであれイメージが生まれたのだ。それだけでも大きな進歩と言えた。
 ぺこりと頭を下げる妖夢に、鈴仙は少し顔を赤くし、ずずずとお茶を啜っていた。



 ■三■

「……ん?」
 歓談の最中、鈴仙が怪訝な顔をして大きな耳を動かした。つられて妖夢も彼女の視線を追えば、空を仰ぐ赤い瞳の先、遠く雷の音が響く。
 同時、手の中の湯呑みに、ぽつりと波紋が広がった。
「雨?」
 降り注いだ雫に顔を上げると、空には分厚い雲が立ち込めていた。地面にぽつぽつと雫が広がり、通りに落ちる水滴は見る間に連なって、ざあと強い音を立て始める。
 突然の雨は、たちまち通りの視界を霞ませる激しい夕立となった。荷物と薬箱を抱え、二人は慌てて茶店の軒下へと避難する。
「ひゃああ……降るなんて聞いて無かったのに」
 鈴仙も悲鳴を上げながら、食べかけの葛餅の器と湯呑みを持って軒下へと駆け込んでくる。
 隣に立つ彼女の湿った髪からふわりと良い香りが妖夢の鼻をくすぐる。女の子らしいお洒落に関しては、妖夢よりも彼女の方がずっと得意だ。これまで修行と庭師の仕事に明け暮れる毎日でそんな事に興味を持たなかった妖夢が髪をいじるようになったのも、鈴仙の勧めがきっかけである。
「むぐ。夕立にしてはちょっと早いような気もしますね」
 軒先から滴る雨雫から大荷物を濡れないようにしつつ、妖夢も残った素甘を頬張る。確か広場で見た龍神様の目の色は綺麗な白、予報では雨など降るはずはなかったはずなのだが――
 通りを叩く雨音は激しく、空を覆う分厚い黒雲はみるみる空を薄暗く包み込む。里の上空に夜の切れ端が流れ込んできたのかと錯覚するほどだった。時ならぬ豪雨に、通りを歩いていた人々も足早に近くの店の軒下へと駆け込み、荷物を頭上に、背中を丸めて家路を急ぐ。
 黒雲の空と豪雨を見上げ、鈴仙は吐息。
「ちょっと、すぐには止みそうにないわね、これ」
「そうですね」
「……仕方ないかな。すいません、お茶、もう一杯貰えま――」
 会話を遮るように、突如の閃光が瞬いた。
「ひゃあぁ!?」
 稲光が明滅し、空が揺れ、黒雲を引き裂くように走る雷鳴が視界に焼き付く。数拍遅れて雷音が鳴り響き、一瞬だけ雨音をかき消した。咄嗟に耳を押さえた鈴仙が、目をつぶって恐る恐る様子を見上げる。どうやら彼女は雷が苦手らしい。
「これは、本格的に降って来たみたいですね」
「うー……やだなあ……」
 二人が揃って雨空を見上げたその時。悲鳴のような、叫び声のような。甲高い不気味な声が里の空に響き渡った。

 ――ひゅおぉおおおおおぉおぉぉ……ぅ……。

 雷鳴がなお唸る激しい雨の中で、なお強く、寂しげですらある鳴き声が鼓膜を震わせる。
「――っっ!?」
 同時、訳もなく胸の中を冷たい手で掴まれたような衝撃が妖夢を襲った。
 背筋が怖気立ち、手足が強張り、歯ががちがちと震え出す。言い知れぬ恐怖が手足を縛り、その場に貼り付ける。
 雨に煙る空の下、連なる通りの屋根の向こうに――ずしんと一際大きな雷鳴が響く。低く垂れこめた黒雲の中に潜むその存在を、白玉楼の庭師の感覚ははっきりと捕捉する。
 軒を連ねる店の屋根の上に、音もなくそいつは姿を現していた。
 渦巻く黒雲の空に、血塗れの紅玉のようにぬめる、二つの輝きが灯る。屋根瓦を踏み締める逞しい四肢は、鋭い爪を備える虎縞。胴体は分厚い焦げ茶の毛皮に覆われ、背中には甲殻類めいた爪鎌と、くねる鱗の蛇の頭が、左右三対の非対称な6本の歪な翼を模している。そしてその尾は、丸太よりも太い碧の鱗を生やした大蛇であった。
 まるで獅子のような鬣を纏う、猿とも鳥ともつかぬ異形の獣の頭が、牙を剥き出しにして大きく喉を膨らませた。
「……っ!?」
 ひゅおおおぉ、と鳴り響く高い鳴き声に、胸を貫かれ、胎の中を掻き回されるような恐怖が湧き起こり、妖夢は思わず脚をもつれさせて後ずさる。
 雷鳴が激しく鳴り響くと同時、雨の中に幾重もの輝きが生まれた。獣がその吼え声と共に弾幕を放ったのだ。
 あ、と思うよりも早く飛来した光の鏃が、茶店の軒先にある日除けの傘を貫き、濡れた地面の土を深く穿つ。
「妖夢!」
 即座に反応したのは鈴仙だ。手足が竦んで動けない妖夢の襟首を掴んでその場に引き倒し、流れるような動作で茶店の軒先で雨に濡れる長椅子を跳ねあげ、遮蔽を作る。長椅子の脚がばしゃんと飛沫を上げるよりも早く、月兎は腰に巻いていたジャケットから無骨な拳銃を早抜きして、屋根の上の獣へと向けて引鉄を引いていた。
 これは弾幕ごっこではない。咄嗟にそう判断した鈴仙の意識の底で、薬物催眠と睡眠学習で刷り込まれた自己暗示リミッターが解除され、弾幕の威力と速度に課せられた制限が外される。実銃と何ら遜色のない、音速を超える弾速は、射出と同時に凌的を無慈悲に噛み砕く鋼の牙だ。
 鈴仙の弾幕は、月の科学力が産んだ最新鋭の銃器を基にしたものである。格好だけを真似した指鉄砲でも扱う事は出来るが、実戦においては彼女は弾幕の精神集中に引鉄を使っていた。安全性の関係から携帯している拳銃は炸薬の光と音だけを出して薬莢を吐き出す弾幕専用のもの。それでも、使い慣れた銃を介して、鈴仙の弾幕はごっこ遊びとは段違いの素晴らしい破壊力と精度を叩きだすのだ。
 油断なく長椅子の陰で遮蔽を取りながら、玉兎の狂気の眼が赤い光を放ち、十字に閃く銃火が屋根上の黒い獣へと収束する。
 澱む黒い檻のようなものを纏いながら、獣は巨躯を感じさせない俊敏さで屋根の上を鋭く跳ねた。屋根瓦が赤い弾幕の着弾に弾け、砕ける。
「ッ」
 鈴仙の魔眼が輝きを増した。能力の出力を上げ、波長を読み取る目は雨の雫一滴一滴を解析し、その規則性と共に屋根伝いに跳ねる獣の着地点を正確に予測、軌道を修正し予測射撃を撃ちこむ。深紅の輝きを纏い、銃弾の速度も威力も一射ごとに増していった。
 弾幕の精度は黒い獣の回避を上回り、帯状に連なる弾幕の斉射が獣の表皮を捕えた。が、
「……硬い!?」
 頭部に3発、胸に2発、左右の前足へ2発ずつ。容赦なく標的の行動力を削ぐ場所へ着弾を集めた弾幕は、獣の身体に触れる直前、黒い靄の放つ力場のようなものに囚われて弾ける。
 獣は鈴仙を振り向き、吠え声と共に再び光の鏃を撒き散らした。咄嗟に鈴仙が撃ち放った弾幕のいくらかが鏃を撃ち落とすが、貫通力を持った鏃は長椅子を易々と貫いて砕く。
 数発の着弾で椅子は木片に姿を変え、無残な残骸を晒した。その威力に鈴仙も顔色を変える。
「四十五口径より威力あるんじゃないの、これっ」
 罵声を打ち消すかのように追撃の光の鏃が撃ち込まれる。獣の行動にスペルの宣言はなく、ただ能力を使って弾幕を撒き散らすばかり。現在の幻想郷において許容されることのない、規範を逸脱した攻撃だ。
 空が唸る。俄かに強まった風が吹き付け、豪雨が鈴仙の顔を強く打った。思わず目を閉じかけた鈴仙のすぐ鼻先の空に、猛烈な落雷が叩きつけられた。
「ッ、きゃ……」
 獣のシルエットが夜空に浮かび上がる。再度の鳴き声と共に、人里に瘴気が吹き付け、軒先の看板が割れ、暖簾が吹き飛び、積み上げられていた荷物が崩れ落ちる。気の弱っている者ならば、目にしただけで意識を失いかねない強烈な圧迫感が膨らむ。
 鈴仙の悲鳴で、妖夢はようやく己を取り戻した。ほとんど無意識の動作で背中に手を回し、楼観剣の鞘で獣の放った弾幕を斬り払う。
「済みません! 鈴仙さん、援護をっ!」
 呆けていた事への後悔をねじ伏せ、妖夢は通りに飛び出した。
 戦場へと躍り出た新たな標的に、獣はすぐに狙いを変えた。無数の光の鏃が呼び起こされ、庭師めがけて降り注ぐ。それを見事な足捌きで掻い潜り、妖夢はほとんど身体を動かさず跳躍。通りの中央でぱんと水飛沫が跳ねたかと思うと、少女の姿は既に屋根上にあった。
 ひと飛びで屋根の上に飛び上がり、背中から外した楼観剣の鞘を腰に、妖夢は獣と対峙する。不機嫌に吼える獣を、鈴仙の弾幕が牽制した。
 雨に濡れた屋根の上を、足場の悪さを感じさせない見事な足捌きで疾駆、鋭く身を沈めた妖夢が腰だめの太刀を振るう。
 まさに一閃。踏み込む爪先が屋根瓦の上を滑り、一つ大きな波紋を刻むと同時、吹き荒ぶ豪雨の雨粒が筒状にくり抜かれていた。二百由旬の庭を縦横無尽に走る神速の踏み込みで居合いを放ち、少女は獣の背後へと駆け抜ける。ひと振り十殺の楼観剣が、四尺七寸の刃をもって怪物の肌を捕えた。
 ――だが。
「……ッ!?」
 異様な手応えに妖夢は声を上げそうになった。確かに獣の根元に食い込んだはずの切っ先が、ぬるり、と泥の中に沈むように飲み込まれたのだ。
 白刃が獣の首をすり抜け、虚しく空をかく。何としたことか。間違いなく首を落としたはずの楼観の太刀は、獣にさしたる痛痒すら与えていなかったのである。
 おもわぬ空振りに少女の体が傾いだ。怪物は狙い澄ましたように低く身を伏せ、撓ませた四肢に溜め込んだ力を漲らせて跳躍する。
「危ないっ!」
 鈴仙の悲鳴が上がる。同時に閃く銃火はしかし、獣を押しとどめる些かの役にも立たなかった。獣が牙を剥き出しにして妖夢を丸飲みにせんばかりに迫る。
 汚れた牙が少女の肌に食い込む寸前、獣は真横から殴り飛ばされたように強い衝撃を受けて仰け反った。妖夢が繰り出した半霊の体当たりが獣の体勢を崩したのだ。
 ぐらりと身を傾がせた獣だが、吹き付ける雨をものともせずにしなやかな身体を翻し、宙をくるりと回って二つばかり向こうの屋根の棟瓦の上に着地する。見上げるほどの巨体をまるで感じさせない身のこなしであった。
「…………」
 辛うじて難を逃れ、間合いを取る妖夢に、ざあ、と雨風が叩き付ける。視界を塞ぐ豪雨の中、妖夢は楼観剣を正眼に、切っ先を獣に向けたまま対峙する。
 獣が再び不気味な鳴き声を上げた。すると見よ、突如として空から沸き起こるように黒雲がなびき、獣の体を包み込んでゆく。天に渦巻く雲はますますその分厚さを増し、獣の姿を雨霞の向こうへと覆い隠していった。
「待て!」
 逃げられる。焦りの中、妖夢が獣を追って前に飛び出そうとしたその時だ。黒雲の奥から、これまでよりもさらに強く、ひゅおおおと不気味な鳴き声が響き渡る。その得体の知れない声が、言い様の無い恐怖を引き起こし、少女の手足を竦ませた。こみ上げる恐れが冷たい鎖となって庭師の手足を縛りあげる。
 その一瞬の隙を獣は見逃さない。一旦退くと見せかけた獣は身を翻し、黒雲の中から妖夢に飛びかかった。背中から生えたうねる蛇の群れが、鎌首をもたげて妖夢へと襲いかかる。
「っ」
 わずかにタイミングをずらして牙を走らせる蛇の頭を、妖夢は構わず楼観剣で切り飛ばした。刃が振り抜かれたその瞬間を狙い澄ましたかのように、獣の頭は弾幕を撃ち込んでくる。鏃の連射は容赦なく妖夢の胸と頭を狙っていた。鞘を跳ねあげて首と頭を守るが、全ては防ぎきれない。鈴仙も弾幕で牽制してくれたが、2発は避け切れず肩と脇腹を掠めた。
 着弾の衝撃に呻く妖夢の足が、同時にぐんと引っぱられる。地面を穿った光の鏃が翼の生えた小さな蛇に姿を変え、妖夢の足を絡め取っていたのだ。脚を取られ、背中から倒れ込んだ妖夢へ獣が圧し掛かる。
「っぐ…ッ」
「妖夢!」
 巨体の突進を押しとどめられず、妖夢は屋根瓦に押し倒された。背中を叩きつけられて一瞬、意識が遠のく瞬間に、虎の前脚が凄まじい重量で少女の体躯を押し潰し、猿じみた異形の頭が長い牙を覗かせて、喉笛を噛み切らんと眼前に迫る。
 楼観剣を辛うじて獣と己の身体の間に滑り込ませる妖夢だが、一振り十殺の刃が首筋に食い込むのをまるで意に介さず、黒い獣は妖夢へ迫って来た。
 踏ん張りの効かない両手に力を込め、懸命に刃を立てて、妖夢は叫ぶ。
「どういう、つもりですか――ぬえさんっ!」
「ふん、やっと気付いたのか?」
 屋根の上に妖夢を押し倒しながら、獣が唸るような声で答えた。聞き覚えのある彼女の声とは全く違う――胎の底に響くような吠え声だ。
 獣の姿を取り巻く、渦巻く赤黒い雲、わだかまる闇のような毛皮がモザイク模様に歪み、その奥から一瞬、黒衣の少女の顔が覗く。それは間違いなく、封獣ぬえ――妖夢が先日、倒したばかりの妖怪、鵺であった。
「お望みどおり、本気で相手してやろうってんだ、感謝しな」
 嘲るように口元を歪め、少女の姿はすぐに元通りの虎の四肢と狢の身体、猿の顔を持つ異形へと飲み込まれた。ぎしり、先程にも増して凄まじい力が楼観剣を押し戻し、黒い獣の巨躯は妖夢を押し潰さんとする。
 何故、どうして。混乱の中、脱出の隙を作ろうと半霊を繰り出す妖夢だが、ぬえは尻尾と翼を振ってそれをあっさりと振り払い、至近距離からの鈴仙の銃撃を喰らいながらも涼しい顔だ。
 びょうと吹き付ける嵐が、妖夢の視界を覆う。
「わぷっ……」
「お遊びは抜きだ。正体不明の恐怖におびえて死ぬがいい!」
 高らかな笑い声と共に、雷光が鳴り響いた。ぎりぎりと押し迫る獣の牙は、妖夢の肌へと食い込み、ぷつりと皮膚を裂いて赤い血の玉を浮かばせる。獰猛な獣のあぎとから吹きこぼれる生臭い吐息、頬に垂れる唾液に、妖夢は雨雫の入ってぼやける視界の中、今まさにぬえが自分の頭を食い千切らんとしていることを悟る。

 ………………。
 ………。

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