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【Kanon】姉妹の恋愛方程式

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 ――この七年目の冬に愛を込めて。




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「お姉ちゃん、……その、……えっちなことしてみない?」
「前から思ってたけど、あんたって実に馬鹿よね」
 休日の夕刻、夕食の後片付けを終えて読みかけだった小説の続きを片手にソファに腰を下ろす。ようやく落ちついた時にいきなり、なにやら思いつめだ表情で実の妹にそんなトンチキな話題を振られたら、姉としてはまあ妥当な対応だと思う。
「ぇうー……いきなりそんなこと言うなんて酷いですっ」
「自覚症状も無し……深刻ね」
「お姉ちゃんっ!!」
 なで肩を精一杯いからせて栞はうぅーっ、とこちらを睨んでくる。その表情もつくづく子供が拗ねている以外の表現のしようがなく。だからこそ冒頭の質問が実に間の抜けたものであるように思えてしまうのだった。
 ……事実、どう曲解されてもしようのないことである気はする。
「なんなのよ。あんたが妙なこと言いだすのは今に始まったことじゃないけど。今度はなんに影響されたの?」
「……そうじゃなくて……その、今日ね?」
 あたしの妹であるところの美坂栞は、つい半年前まで病院で過ごす時間の方が長いような生活をしていた。家族の一人がいるはずなのにいない、という現実はさまざまな問題をもたらしたものの、紆余曲折を経て今は無事完治し一年遅れの学校生活を謳歌している。
 復学してからは少しずつではあるが友達もでき、クラスにも溶け込んでいるらしい。それは実に微笑ましいことだった。
「それで、どの俳優さんがかっこいいとか、素敵だって話になった時に……祐一さんのこと、喋っちゃって……」
「なるほど。……大体解ったわ」
 まあ、要するに。栞はクラスメイトとのお喋りの中で、不用意にも世間的には秘密ということにしてある彼氏の存在とそれにまつわる様々な状況の情報漏洩に至ってしまったということらしかった。
 こんな田舎町では色恋沙汰がいちばんの話題。まして病弱な少女と上級生の甘いロマンス(栞の言葉を素直に受け取るとこういうイメージらしい)は、格好の題材であるのだろう。
「で、ちょっとのつもりで見栄張ったらどんどん話が大きくなって、いろいろ問い詰められて答えに困って、どうしようか解らなくなってあたしに聞いてみたと、そういうこと?」
「……わ。すごい。なんで分かるの?」
「あんたねぇ……」
 この頭痛は決して幻ではあるまい。
 たまに思うけれど、同じ親から生まれてどうしてこうも違うものか。
「第一、あんた経験なんかあるの?」
「わ……お姉ちゃんが大胆ですっ」
「聞かなきゃしょうがないじゃない。こんなの隠したって仕方ないでしょ。姉妹で」
「えぅ……」
 頬を真っ赤にして俯く栞。やはりどうみてもお子様だ。もっとも、これで明け透けに頷かれでもしようものなら明日徹底的に相沢君を問い詰めてやらねばならないわけなのだが。
「えっと……その、前に……いちど、だけ」
「…………」

 ……………………なんですと?

「で、でも、なんだかその……あんまり覚えてないっていうか、その、よくわからなくて。……あの頃ってもう、いろいろお薬とか多かったし、ほら、痛いとか苦しいとかそういうのわからなかったから……だから、ホントのところはよく解らなくて……
 私が元気になってからは祐一さん、あんまりそういうことはしてくれないし……お姉ちゃんと一緒で受験生だから、邪魔しちゃいけないかなって……き、キスくらいはしてるよ? 時々、だけど……」
「あ、う、うん。いいわよそのへんで。十分解ったから」
 いつの間にか大暴露おのろけ大会になりつつあった栞の衝撃的告白を押しとどめ、あたしは表情を取り繕って内心の動揺を押し殺す。さまざまな理由から必要に迫られて身につけた特技だけど、今日ほどありがたいと思ったことはなかった。
「その、それで………れ、練習……しようかなって思ったんだけど」
「……あのねぇ。だからってどこの世界にそういうことの練習相手に姉妹を選ばなくちゃいけないの。それこそ相沢君に頼めばいいことじゃない」
「だ、ダメダメ絶対ダメっ!! そんな事言ったらなにされちゃうか解らないよぅっ」
 ……とりあえず。
 明日学校に行ったら相沢君とはじっくり話し合う必要がありそうだった。
「あ、あのさ、お姉ちゃん」
「なによ」
「その、お姉ちゃん……経験、あるんだ?」
 様々な葛藤に思いを巡らせているうち、栞はあたしの様子を余裕と誤解したらしい。実に失礼な――いや、そうでもないのだろうか。とにかく近年あまり見なかった、姉を尊敬する視線でこちらを見つめてくる。
 となれば、あたしとしても採るべき選択肢は当然狭まれてしまうわけで。


    1.素直に誤解だという
 こア 2.しらばっくれる


「まあね」
 さらりと嘘。決して弱みを見せず、常に上の立場にあると思わせるのが上手な妹のしつけ方であり、良き姉であり続ける秘訣なのだ。
「ええと……」
「相手は誰、なんてつまらないこと聞くならこれ以上相談乗ってあげないわよ。家族だってプライバシーくらい守って欲しいから」
「えぅ……なんだかさっきと言ってることが逆……」
「もういいのね?」
「え? ち、違うよぅっ!! その、そうじゃなくてっ」
 どうも聞く気満々だったらしい。まあいいけど。
 栞はもごもごとつぶやきながら、じゃあ、と話題を変えてきた。
「……どう…だった? ……その、する前と、しちゃった、後で……」
「別に。したしないで何か変わるものじゃないわ。実際、あんたのクラスにだって他に経験済みの子はいるでしょ。でも普通に話してて何か違うところってある?」
「えっと、それは……」
「そんなものよ。栞が思ってるほど大したことじゃないわ」
 あくまで想像ではあるのだが、栞はそれで納得したらしかった。
 未経験者に諭される妹は、実は自分の方がずっとオトナであるなどということに微塵も気付いていない模様。
 ……それにしても、まさかこんなお子様な妹に先を越されてしまうのは姉としてやや忸怩たるものを感じないではない。世間も見る目がないものだと思う。
「それにしても、なんで練習なんて馬鹿なこと思いついたわけ?」
「ば、馬鹿かなぁ……」
「そうよ。相手のいることなのに、勝手に一人でどうこうするものじゃないでしょ。大体、本当にしたい相手以外とそういうことして何とも思わないの?」
「でもでもっ、いざその時になって、上手くできなかったら困るよっ!!」
「…………」
 ……何と言うか。
 ああ、愛すべき愚かな妹よ。天よ、どうかこの者の振る舞いを許し給え。あたしは胸のうちで十字を切るジェスチャーを思い描きつつ身体を起こした。
 台所まで戻り、冷蔵庫からフルーツのタルトを取り出して切り分け、テーブルに戻る。
 無論、栞の分まで用意するような余裕はない。
「お姉ちゃん、そんなの食べたら太っちゃうよ?」
「いいのよ」
 何か食べねばやっていられない気分だった。
 広げっぱなしの小説を閉じ、ふぅ、と吐息。この話題、いつまで続けなきゃいけないんだろう。
「どこまで話したかしら。……とにかく、初めての相手がいかにも場慣れしてるのはそれはそれで問題だと思うわよ」
「そうかなぁ……」
「そうよ。妄想逞しくしてるあんたは違うかもしれないけど」
「妄想……って、そんなことないですっ!!」
「じゃあ、明日までにベッドの下とクローゼットの裏の本は処分しておきなさいね。どこで買ってきたの、あんなの?」
「うぅ……お姉ちゃんが酷いよぉ……」
 この辺りは個人差だろうが。少なくとも私は、他の誰かで積んだ経験を自分の初めてに持ち込まれたらいい気分ではないだろう。男の心理状態なんて想像しかできないけれど、その辺りがまったくどうでもいいとするならば処女信仰なんてものは世の歴史に存在するまい。
 恋愛とか愛情というものが、相手にとっての自分が特別であることを前提とする感情ならば。そこに他の誰かの影が覗くことは百害あって一利なしだ。
 ……まあ、最近のドラマにせよマンガにせよ、ヒロインをエスコートする相手役はえらく熟達していることが多いわけなのだが。ああいう相手に抱かれて何が幸せなのかはいまいち良く解らない。
 緊張してだめになってしまうくらいのほうが、よほど嬉しい……の、ではないかと思う。
「……とにかく。そんなことで思い悩んでるようじゃまだまだお子様ってことね。ほれ」
「ひゃうっ?!」
 栞の頬にサクランボをおしつけた。
 可愛い悲鳴をあげる栞の口の中に、ぽいとそれを放りこむ。
「ま、あんたはそれでも使って練習してなさい。上手になれば相沢君も喜んでくれるでしょ」
「ん、んぅ……」
 誰が言い出したのか、舌で結べるならばキスが上手い、という俗説。
 まあ、チェリー同然なのだから(多分、だが)、きっとそちらにもご利益はあるのだろう。
 何を想像したのか知らないが、真っ赤になっている栞をよそに、私は残るタルトを切り分けて口に運んだ。



(終)






 達観した大人なふりをしつつ、実は妹さんよりも遥かに夢見る乙女な香里さんというテーマのお話。とりあえず冒頭のシーンだけ思いついて書き始めたら思いのほか簡単にまとまりましたとさ。
 正直栞がえうえう言い過ぎてるような気もしないでもないけど、
 尽きることなきエロゲーの論議のなかに、登場するヒロインが未経験であるかどうかについての是非を問うものがありますが、詳しく話しだすと止まらないので一石を投じることもなくチキンに終了。
 たとえゲームといえども愛と独占欲は紙一重。難しい問題でございますな。

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