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はるはる・6

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 隙間風が、刺し込むような冷たさを運んでくる。蛇口から凍るような水で顔を洗ってもいまいち目が覚めず、僕はスリッパを引きずって廊下を歩く。
 あくびを飲み込んで角を曲がれば、ちょうど玄関で芽衣ちゃんが靴を履いているところだった。灰色の制服はシワひとつなく、背中で革の鞄が揺れ、スカートのプリーツは綺麗に翻る。
「おはよう芽衣ちゃん」
「おはようございます景お兄さん」
 指先をそろえての丁寧なお辞儀。肩でそろえられた髪がさらりと爽やかな香りを運んできた。。
「今日も学校? 大変だね、毎日」
「はい。これでもわたし、優等生ですから」
「そっか。偉いね」
「はい」
 控えめな笑顔で頷く芽衣ちゃん。
「よし、僕が褒めてあげよう」
「結構です。景お兄さん」
 思わず頭のひとつも撫でてあげたくなったけれど、実にあっさりと笑顔で拒絶されてしまった。本当によく出来た娘さんだと思う。
「では、行ってきます」
「ん、いってらっしゃい」
 もう一度、ぺこりとお辞儀をして去ってゆく芽衣ちゃんの背中を見送って手を振る。
 と、背中のほうで階段の軋む音。
「……よぅ。早いな少年」
「おはようございます。幹也さんはまた朝帰りですか?」
 振り返れば、目の下に隈を作ったむさくるしい姿が二階から降りてくるところだった。くたびれた背広にもう何日着たきり雀かもわからないようなよれよれのシャツ。顎にはちらほらと無精ひげを散らし、ぼさぼさの頭を掻き毟る。
 漂うアルコールとタバコの残り香は、さわやかな朝にはあまり相応しくない。
「ああ、まあ一応、昨日中には帰ってきてたぞ」
「へえ、気付きませんでした。何時ごろです?」
「27…8……9時、すぎ、くらいだな」
 立派に朝帰りだった。それがどうして二階から降りてくるのかと思えば、
「ちっとな、一之瀬の嬢ちゃんのところで迎え酒をな。
 ……ところでつかぬ事を聞くが少年。俺の娘はどうした?」
「さっき学校に行きましたけど」
「ぬ。小癪な。父親を置いてなんてことを。
 ……いい加減寝たいんで部屋に戻ったんだが、鍵がかかっていてな」
「でしょうね」
 確認するまでもなく、芽衣ちゃんが戸締りもせず出かけるはずがなかった。
「……入れないじゃないか」
「スペアキーはどうしたんです? 前に夕が貸したままですよね」
「ああ、あれな。どこかで落としたらしい」
 さらりと随分深刻なことを言う人だ。実によく出来ていない父親だなぁとしみじみ思う。芽衣ちゃんと並べてみると、遺伝の法則なんて嘘っぱちじゃないかと思えてくる不思議。
「うむ。すこぶる眠いのでとりあえず少年、お前の部屋を貸せ。寝る」
「さも当たり前のように言いますね」
「うむ。まあな。……褒めてもいいぞ?」
「褒めませんてば」


 (続く)

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