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だいたい移行完了

 新しい環境も整ったのでそろそろ新刊作業を進めねば。
 このところなにかするたびにPCがフリーズしたりブルースクリーンだったりでもう落ち着いてなんにもできなかったしなあ。
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付喪夜話・殺戮謳歌 藍坂陽王城の閑話休題

 久々になんとなく書いてみた。
 ……でも全然繋がり無い。





 ▼

「つまり、お前はこういいたいわけだね。――医者はどこだ、と」
 路地裏は積み上げられた塵と、澱んだ汚水と、こびり付いた汚れに満ちていた。見上げれば断崖のようなビルとビルの狭間、1mにも届くかどうかの狭苦しいスペースには、街の通りには決して漏れない汚濁の気配が満ち、並ぶ室外機の蒸し暑い熱風で攪拌されている。
「うん、まあなんだ。僕としてもお前をこんな不幸な目に遭わせた責任がある以上、偉そうな事は言えないけれど、胸のうちを率直に言葉にすればだね、もう手遅れだ諦めろ、ということになるな」
 振り上げた靴底が、重く硬いものを砕いて、柔らかく水気たっぷりの中身を撒き散らす音を立てる。頬まで飛んだ飛沫をハンカチでぬぐい、面倒臭そうにそれを路地裏の塵の一番上にほうり捨て、藍坂陽王城(アイサカ・ヒオウギ)は深く静かにため息をついた。
 そしてすぐに、こんな悪臭に満ちた場所で大きく息をしたことを後悔する。
「ああもう、まったく。理不尽だね」
 なお惨めにしがみ付いてくる人間の死体の――ついさっきまでは生きて動いて話していたが――右半分をつま先で蹴転がして、陽王城はぽつりと独白した。
 路地裏には、あちこちで――そこらじゅうで人が死んでいた。
 複数という意味ではない。死んでいるのは一人だけだ。藍坂陽王城は、一日に一人しか殺さない。
 一人の人間が路地のあちこちで死んでいるという意味合い。つまりは原形を留めないほどに粉々に砕かれてそこらじゅうに転がっている、という程度の状況を示す。
 そんな状態だから、陽王城の濃灰のスーツはもう壊滅的なまでに汚れていた。色が濃い、というのはまだ汚れを目立たせない一助にはなるだろうが、そんなものはもう無関係なくらいに、徹底的に汚れていた。人間というものの身体は、その80%が水分だというから、こうやって細かくすればするほどどうしようもないくらいに、水物なのだということを思い知る。
 そんなことはいまさら確認するまでもなく、陽王城も熟知していることだった。生まれてこのかた二十二年になるが、物心付いて以来一度たりとも、一日一殺を欠かしたことのない、礼儀正しい殺人鬼――それが陽王城のささやかなプライドでもある。
「参ったな、帰れやしないよこれじゃ」
 返り血や、その他の液体や、細かく散った肉片などで凄惨極まりなく汚れた己の格好を見下ろして、陽王城は頭をかいた。空前の大不況と共に世が荒み、通り魔傷害が毎日のように騒がれる昨今でも、いくらなんでも『ちょっとそこで一人殺って来ました』とばかりに繁華街を闊歩する青年を、世界の各国と比すれば非常に有能で勤勉で真面目な官憲が『ああ大変だねえ、頑張りな』と笑って見過ごしてくれるとは思えない。
 ……その程度には、藍坂陽王城は常識人である。
 およそ世の道理でもっとも思いとされる殺人を、日常のように犯して回って常識も何もないものだろうと陽王城自身も思うが、それを抜きにしてもこの世界、否、この業界、少々エキセントリックな人材が多すぎる。
 まるでそうでなければ人を殺してはならないと言わんばかりに、名の知れた連中が常軌を逸し正気を逸しているのを、陽王城はあまり快く思ってはいない。人殺しとはもっと地に足の着いた、泥臭いものであるべきだという、それが陽王城の心情である。
 もっとも、系譜に名を計上している連中が、殺人鬼などという単純な括りでまとめられるようなものかどうかは、また別の議論だ。殺人を常とするほど狂っている――と言えるのは、その相手を人として見、測っているがゆえの発想。たとえば文字通りを通り越して、“生態として息を吸うように人を殺す生物”は、殺人鬼と呼べるかはなはだ疑問であると主張する者もいる。
 ともあれ、いまはそんなことよりもこの服だ。
「代えの服なんてあるわけないしなぁ……」
 陽王城はほぼ手ぶらでここにやってきたし、そうでなくともわざわざ予備のスーツを持ち歩くほど酔狂でもない。路地裏にいる――あるいはいた――目の前の人間、あるいは元人間も、もはや服と呼ぶのもおこがましいくらいの残骸になった布切れを、かろうじて腕と足に絡み付けている程度。さすがにそれに比べれば、まだ陽王城のスーツのほうが人前に出るにはましだが、それは要するに溺死と衰弱死どっちがマシかと言う議論のレベルで、そもそも死にたくない人間には意味のない選択肢である。
 せめて、今日の格好が一張羅ではなかったことを安堵すべきかと、陽王城が微妙に的の外れたことを考えていた時だった。
「ぅ」
 短い呻きに、陽王城はその場で振り返る。
「ああなんだ、目が覚めたかい? 申し訳ないね無粋な真似をして。ちょっとばかりご容赦願ったよ。横取りまあ君にしてみれば降って沸いた災難、青天の霹靂なんだろうけれど、僕にもそれなりに事情があってね」
 日課が、今日の日課がまだだったのだ。
 一日一殺――殺人鬼・藍坂陽王城がむねとするささやかな日常を、もう少しで失うところだった。だから、
 だから、まあ、勘弁して欲しいと。陽王城は心からの謝罪を口にする。いまいち誠意がないなと自分でも思いはしたが、こればかりはしょうがないだろう。人殺しがごめんで済まされないのは、死んだ人間が生き返りはしないからだ。
「――そうだな、君はレミンシュッツ反射って知ってるかい。視覚と聴覚が認識していることと、今しなきゃいけないと脳が考えていることの優先順位を取り違えることで、これを自覚しながら行う場合には神経症の用語なんだけどね、まあ嘘だけど」
 喋る事はどうでもよかった。
 少しでも舌が動いていれば、それでいい。
「うん、別に君でもよかったんだ。誰でも。たださ、しょうがないじゃないか。こんなに遅くなるのに、君がちょっとお化粧直しになんて言うから――そりゃあ、双樹しかいなくなるだろう?」
 踏み潰した実の息子の死体を見下ろして、陽王城は肩を竦める。
 その向こうでへたり込み、驚愕に目を見開いて絶句する妻は、もはやまともにしゃべれる状態にはなさそうだった。
「家族サービスで張り切りすぎたのが良くなかったかな。君はほら、ずっと前から僕が仕事にかかり切りで、双樹が生まれてからも休日にも家族を省みないというのが大層不満だったようだけど、仕方ないことだったのさ。だって、一日中君たちが離してくれなければ、どっちかしか殺せないじゃないか。判るだろう? 僕だって焦るさ。あと数分で今日が終わってしまうというときに、いまさら新しい相手を探している暇はないよ」
 ふう、ともう一度、大仰に両手を広げ、参ったものだとジェスチャーをして――もう会話のなりたたなそうな妻への配慮だ――陽王城は続ける。
「ああ。勘違いしないでくれると嬉しい。僕は君と双樹を愛していたよ? 天地神明に誓って、心から愛していたとも。君は息子を殺しておいてなんだと言いたいかも知れないが、それは真実、本当だ。だってこれまで僕は上手くやってきていたろう? その証拠に君は今そんなに驚いて脅えている。僕がそんなことをするなんて信じられない、と、まあまだ心の何割かは思ってくれているのじゃないかな。だからほら、それが僕の愛だ。君たちにとって、良き人間であろうとした僕の愛だよ。殺人鬼であり続けるためにも、君たちに気づかれないようにね、毎日毎日苦労して、工夫に工夫を重ねてがんばってきたのになあ。ああ。残念だ。残念だよ」
 すう、と伸ばした手で、陽王城は妻の首を掴む。そのゆっくりとした動作は、まるでいとしい相手を抱きしめるようで、めきめきと万力めいて骨を軋ませ喉を握り潰し始めるまで、妻はそれに気づかなかった。
 宙に吊り上げられた妻は、陽王城の手を振りほどこうともがき、暴れ、声にならぬまま必死の形相で喚く。それを見て、ああ醜いなあと陽王城は呟いた。
「うん、もし君が僕の本性を見て、それでも僕を愛してくれるならそれでもいいんだけどね。僕の偏見だと君はそんなに出来た女じゃないだろうし。まあ望みがないじゃないだろうとは思うけど。ほら」
 陽王城の指に爪を立て、白目をむいて泡を吹き、痙攣する妻の眼前に、腕時計の文字盤を示して陽王城は言う。
「――ほら、ちょうど0時なんだよね」


(終)




 何も考えずに書くとこうなるといういい見本。ほぼ名前の出落ちという酷いキャラの陽王城ですが、まあたぶん個性薄いし一発キャラでしょう。私の書く話だとこういう周囲の状況に流される殺し屋って多いですね。引き出しの狭さが露呈してます。
 なお陽王城の名前は昔通ってた蕎麦屋さんの名前が元ネタ。そこの箸袋にひらがなで『ひおうぎ』って書いてありましてね、どこの北斗神拳継承者かとそばつゆ吹いたのを思い出します。

屑鉄の冒険者

 ▼

 麗しの百万都、世界最大の王国、“偉大なる”リタニアをはるか遠くに望む、“始まりの街”アリザーン。英雄ポドロフの冒険譚より200年を過ぎた今でもなお、多くの若者達はこの地に集い、まだ見ぬ未来を胸に夢へと挑んでゆく。
 はるか東へと続く長い長いレンガ路を歩いて、その果てを目指す旅路へと。
 仲間の斡旋や武器を並べる、珍しい魔物の角や毛皮を取引する両替所、魔法のスクロールに刻印を売る学院の出張所。そんな活気に賑わう通りの西の端。
 ガラの悪い悪党どもがひしめいて酒を浴びる宵闇街、その片隅の裏路地は、屑鉄路地と呼ばれている。

 ここは、冒険を挫折し、けれどどこにも戻ることができない人達が夢の残骸にすがりついて集まる場所だ。

 ぼろぼろの羊皮紙を睨みながら、ひとまずその中身には満足したのか、その男のひとは私の前にちゃりん、と銅貨を撒いた。
「ありがとぉございますー」
「ふん。このことは誰にも話すなよ。お前等なんかの手を借りたって知られたらリーダーに何言われるか分かったもんじゃないからな」
 渡された代金は相場よりも何枚か少なかったけれど、それを口にしても殴られるか蹴とばされるだけなので、にこにこと笑顔で答える。
「はぁいー」
 わたしは頭を下げて、足早に去ってゆくそのひとの後ろ姿を見送った。
 真新しい上に大きさもぴったりの鎖帷子は、は通りの外に出ると、お日様の光に照らされてまぶしいくらい。
「なんだ、あいつ。気にいらねえ」
 わたしが目を細めていると、酒瓶をぐびっとあおって、ジラッドさんが臭いげっぷと共に吐き捨てた。眠ってると思ってたのに、いつのまに目を覚ましてたんだろう。
「なんだか、最近頑張ってるパーティーの盗賊さんですよー。なんでも、リーダーのひとがミストリアの聖騎士の従士さんなんだそうですー。この前も貴族のお姫様をたすけたとかで、たくさんお金を貰ったそうですよー」
「けっ、それで俺等みたいな連中と付き合ってるの知られたくねえってのか。ふざけんな。これだからお坊ちゃまはよ!! ……汚れ仕事ひとつできねえで盗賊が勤まるかよ。なあオイ!?」
「うるッッせえぞ、酔っ払い!!」
「尻に響く、静かにしやがれっ!!」
 ジラッドさんの声に、たちまち返ってくる罵声に怒声。
 その大半は、路地の隅に積まれた木箱の向こうから。シリスちゃんがお相手をしているお客さん達からだった。
「ッるっせえのはテメエ等だっ!! 昼間っから盛りやがってよ!!」
「お前ぇのだみ声が響いてっと立つものも立たねえってんだよ、畜生!!」
 とうとう奥から石まで飛んできて、ジラッドさんは仕方なしに黙り込んだ。これ以上怒鳴りあってると本当に喧嘩になってしまうことにきづいたみたいだった。
 ジラッドさんは、お酒を飲んでいれば威勢はいいけれど、腕はからっきしの臆病モノなのだ。そのくせ口だけは大きいので、ものすごく不機嫌そうな顔でまたお酒を口に。
「……っざけんな変態ども。よくもあんなガキ相手にできるもんだぜ」
「あはは。シリスちゃん、黙ってると可愛いですからねー」
 もと侍祭のシリスちゃんは、今日も知らない男の人たちと路地裏に入りこんで、かみさまにはお許しのもらえていないえっちなお仕事をしている。病気でいろいろ頭がおかしなふうになっちゃってはいるけれど、実はこのあたりでも一番の稼ぎ頭なのだという。
「ったくよ。お前もよ、あんな奴等に尻尾振って馬鹿にされるぐらいなら身体売った方が早いんじゃねえの?」
「あははー。ですねー、でも」
 ぺしぺしと、右足を――正確には右足のあったところの付け根を叩いて、笑う。 
「わたしはこの通り、五体不満足なのでー。その気になっても冷めちゃうって怒られてしまいましたー。これでも脱ぐとわたし、いろいろすごいのでー。矢傷とか火傷の跡とかー。お客さんに目、瞑っててくださいって言うのも理不尽かなー、とー」
「ち。……じゃあいちいち小綺麗にするのもやめろってんだよ」
 ジラッドさんは、わたしが情報屋で稼いだお金のほとんどを使って水を買っていることに文句を言う。まだ傷のいくつかが腫れたまま治りきっていなくて、ちょっと油断すると膿とかであっという間に汚れる身体を洗うためなのだけど、なんど説明してもお酒が頭の中で古い酒樽みたいに醗酵してるジラッドさんにはわかってもらえない。
 ちょっと、さびしいものだ。
「わたし、確かに薄汚い浮浪のカタワ娘ですがー。いちおー、年頃の女の子のはしっこの隅のほうにこっそりと居る身としては、最低限の身だしなみは必要なのだと思いますー」
「ったくよぉ。やってらんね。そんだけありゃどれだけ食っていけると思ってんだよ、なあオイ?」
「あはは、こればかりは譲れない一線ですのでー」
 シリスちゃんのようにお客さんを取る勇気もないし。
 わたしみたいな、役にも立たないで錆び続ける屑鉄には、こんな生活が、きっとちょうどいいのだ。
 ――うん。きっと。



付喪夜話・早春賦 2

 ▼

「それが今年の4月のことよ」
 神隠し――神が隠しているわけではないのだろうから正確には行方不明事件というべきか。ここ、私立冬森学園に入学したばかりの男子生徒が、既に閉鎖されていた旧校舎の図書室で突如として姿を消した。
 証拠もなく、目撃者もなく、行方をくらました少年(15)の消息は現在も杳として知れない。当時の新聞のスクラップを指でなぞり、私は傍らを歩く友人に訊く。
「その図書室、昔から七不思議みたいなのだあって、何十年も昔に死んだ生徒の幽霊がでるなんて言われてたらしいけど。眉唾……だよねぇ?」
「幽霊のこと?」
 雛はむぅ、と形のよい眉をよじり難しい顔。私とは違ってオカルト肯定派の彼女には、この話題は一概に切って捨てられるものではないらしい。
「それもあるけど、神隠しのほうよ。……だってさ、普通、生徒が学校でいなくなるのをそんな風に呼ばないじゃない? もっと他にほら、えと、……家出とか、失踪事件とかさ、普通に言えばいいのよ」
「そうね、駆け落ちとかかもしれないものね」
「な」
 言うまい、としていたことをあっさりと口にされ、言葉を失う私に、雛はくすくすと笑う。
「前から思ってたけど、メイはひょっとしてそういうのも好きなくちなのね?」
「……ノーコメントで」
 ええいうるさい。私立の男子校で生徒が幽霊との逢瀬とか、胸躍っちゃうシチュエーションじゃないか。これを見て黙って見過ごせというほうが女が廃る(乙女的な意味で)。
 気を取り直す意味で、メモ帳のページを捲り、事前に調べた情報を確認する。
「こほん。……ともかく、学舎で昼日中に生徒一人いなくなってるわけだから世間的にも大事なのは確かよ。どっちかって言うと古い学校だから、閉鎖的なものはあったけどちゃんと警察だって動いたし、かなり綿密に調査もされたみたい。でも結局、それからたいした情報もないまま時間が経って、この少年……西藤菫くんの行方は今もわかってないの。まるで煙みたいにどこかに消えてしまったまま。これじゃ神隠しなんて噂がたつのも解らないではないけどね……って、雛?」
「…………」
 顔を上げると、友人は私のずっと後ろで立ち止まり、訝しげに古びた校舎を見上げていた。
「……雛? どうかしたの?」
「ううん、なんでもないわ。なにか見えた気がしたんだけど」
 気のせいだったみたい、と首を振って、雛はこちらに歩いてくる。
「それで、わたしたちはなにをすればいいの?」
「いつも通り隅々まで調べて、気づいたことを報告しろって。教授から話は回ってるから、勝手に入っていいそうよ」
 渡された合鍵を示し、私はメモ帳を閉じて雛に向き直って肩をすくめる。
「まったく便利に使われちゃってるわよね。私たちってこーゆうのの専門家でもなんでもないのに。ただの学生なのよ?」
「ぼやかないの。前期のあなたのレポートの評価覚えてるわよね? メイ」
「……うぅ。無償で乙女に労働を強いる極悪教授にはいつか天罰がくだるといいわ」
 六道大学、汎元大統一物理学部古閑ゼミ――私こと葦穂五月と、その友人である雛・メーデルマイヤー・東風ヶ瀬が冬森学園を訪れたのは、そんな秋の始めのことだ。



(続く)

付喪夜話・早春賦

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「ぜんたい、ひととはそういうものだよ、菫。おのれが孤独でいることが寂しくてたまらぬから、寄り添って生きようと足掻くものさ。……我思う故に我有りとデカルトは言ったけれどね。僕はそうは思わない。僕がここで生きて在るのは、そこにそうして君がいるからだ。
 彼想う故に我有り――だから君。これから何が起きようと、どれだけ僕たちが遠く離れ離れになろうと、どうか僕をかならず想ってくれたまえよ」


 思えば、なんと傲慢なまでの台詞だったのだろう。
 僕が伏倉字子と出会ったのは、15の春。東北の片田舎から親元を離れて電車を乗り継ぎ、遥々とやってきた古都の一角。かつての僕の故郷を征伐した侵略軍を率いた総大将が、百年以上にも渡ってその陣幕を張り続けた土地でのことだった。
 古びた木造3階建ての校舎の南、ぎしぎしと軋む廊下の突き当たり。
 およそここ50年、誰も好んで入り浸ったことのないような黴臭い図書室に、なぜ僕が足を向けたのかといえば、僕が並外れて人付き合いが苦手だったからに他ならない。
 中学時代の僕の母校は、酷く閉鎖的で排他的で、4年前の県大会の準決勝に勝ち残ったことが自慢の野球部と夏になれば校舎裏を埋め尽くすような蝉の抜け殻くらいしか見るもののない場所だった。クラスメイトどころか学年全員の8割以上が顔馴染みの幼馴染み。幼稚園の仲良しこよし組がそのまま10年、齢をとったような人間関係に、僕はつくづく辟易していたものだ。
 憂鬱なまでの半年間が僕の身体に染み付かせた習慣は、晴れの入学式を経てもなお抜けず、僕を放課後の図書室へと追いやっていた。
 そこで――彼は、僕を待っていた。

「やあ、来たね。」

 恐らくはこの図書室でも最も価値のあるであろう、分厚く埃の積もった郷土資料をずらりと並べた書架に、誰の眼も憚らずに堂々と腰掛け、足を投げ出して。薄い四角のレンズの向こうから、光のない瞳孔が僕を見下ろして笑った。

「君であれば良いと思っていたけれど、まさかほんとうにそうなるとはね。僕の勘も中々捨てたものではないようだ。よろしく、西藤菫くん」

 窮屈すぎるほどにぴっちりと止められた詰襟の上から、白く艶かしい首筋がすらりと覗く。
 まるで蝋細工のような細い指先開き、掌をついと上に向けて。まるで御伽噺の姫君でも迎えに来た王子のように、伏倉字子は僕の名を呼んだ。
 僕はと言えば、まるきり意表を付かれたまま言葉を発することもできずに、ただぼんやりと字子を――この時はまだその名前すら知らなかったのだが――見上げているばかりだった。
 4月の初旬の、まだ幾分と冷たい風が、ほんのわずかに白い花弁を張り付かせる桜の枝から、ぱらぱらと白い欠片をもぎ取ってゆく。
 そして僕は、この瞬間に――目の前の誰ともつかぬ美しい少年に恋をしてしまっていたのだ。



(続く。)
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